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二条城(栃木県西方町) [古城めぐり(栃木)]

←大手筋の竪堀状虎口
(2013年1月再訪)
 二条城には、2007年に訪城し、当ブログにも簡単に紹介していたところ、kouchansさんから貴重なコメントを頂いたので、鑁阿寺に初詣に行った帰りにふと思いついて、改めて遺構を確認した。6年ぶりに再訪した結果、西側の遺構をかなり見逃していたことがわかったので、記事を全面的に書き直した。

 二条城は、関ヶ原合戦後に徳川氏の家臣となった藤田能登守信吉が、下野国西方の地を与えられて築いたとされる近世城郭である。信吉は、北武蔵有数の豪族で花園城主藤田康邦の子であったが、河越夜戦での勝利によって関東の覇権を握った小田原の北条氏康に藤田氏が降り、氏康の子氏邦が入嗣して家督を継いだ為、用土城に隠居して用土氏を称した父康邦と共に不遇をかこつこととなった。その為、後に北条氏から離反して武田勝頼、滝川一益、上杉景勝と主君を変え、最後は徳川氏に仕えた。1615年の大阪夏の陣の後に改易され、二条城もそのまま廃城となった。

 二条城は、西方城の築かれた城山東麓の、比高55m程の丘陵上に築かれた平山城である。城域中央に方形に近い形状の主郭を置き、周囲に二ノ郭等の曲輪群を廻らした環郭式の縄張りである。相変わらずの藪城で、主郭内部は全く突入不可能である。主郭周囲には高さ1m程の土塁が築かれ、一部には石積みが明確に残っている。主郭北西隅には櫓台が備わり、その下方にある腰曲輪の虎口を監視している。この虎口はおそらく搦手虎口で、主郭北東に位置するニノ郭南側の大手虎口と共に櫓台が備わり、櫓門がそびえていたと考えられる。この大手虎口にも左方には腰曲輪の隅櫓がそびえ、厳重に監視されている。主郭周囲の腰曲輪の内、東面と西面には土塁が築かれて防御を固め、特に東側は横堀状の腰曲輪となり、土塁には折邪みがついており、厳重な防御線を構築している。また城域西端の台地基部には、中間に小郭を備えた二重堀切が穿たれ、尾根筋を分断防御している。この二重堀切の内、二本目のすぐ向こうはゴルフ場のフェアウェイで、ヘタに藪の中をガサガサ歩いていると、プレー中のゴルファーから奇異の目で見られてしまう。この二重堀切は南側の谷戸に繋がっており、この谷戸は大きな空堀として多少の手を加えられ、防御線として機能していた様である。この他、現在開山不動尊が鎮座する腰曲輪には、その東西両端に竪堀状の虎口が構築され、東側が大手筋で、奥側に当たる西の虎口は、隠し虎口となって腰曲輪を経由して前述の搦手虎口に繋がっていたと考えられる。この隠し虎口横には井戸跡のような窪地が残っているが、遺構かどうかは不明である。

 以上の様な感じで、二条城は小藩の居城であるため規模は決して大きなものではないが、さすがに近世城郭らしく、虎口側方には必ず櫓台がそびえており、見事な動線構造を有している。その一方で、台地基部の二重堀切など中世山城的特徴も有しており、中世城郭から近世城郭への過渡期に位置する縄張りの城である。これで薮が整備されていれば、かなりオススメの城になるのだが。
主郭北西隅の櫓台→DSC12076.JPG
DSC12083.JPG←1本目の堀切

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.471733/139.724918/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
タグ:近世平山城
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kouchans

こんにちは。いつもながらの城散策大変参考になります。SANO近辺は実は良く通った道なのですがそんなところにも!!とびっくりです。恐れ入ります。話代わりますが、最近ここ二条城へ行ってみました。主郭付近は相変わらずの藪ですが(まあ冬なので何とか見れますが)画像の登城口?の北側の切岸をたどっていくと藪が取り払われていて?結構大規模な段郭群をみることが出来ます。尚、隣の西方城の新しく出来たPからすぐに登ることが出来ます。車置けるので便利でした。もしお近くに来られたときはいかがでしょうか。中々良かったです。
by kouchans (2013-01-01 00:41) 

アテンザ23Z

>kouchansさん
いつもご訪問いただきありがとうございます。
西方城は新しく駐車場ができたんですか。
一昨年ぐらいに再訪した時は、城址案内板が一新されていましたが、
歴史ブームのせいか、徐々に整備が進んでいますね。
二条城の薮伐採も整備の一環でしょうか。
変に観光地化されなければ、城址整備は大歓迎ですね。
by アテンザ23Z (2013-01-01 00:49) 

kouchans

こんにちは。コメントありがとうございます。西方城とか二条城のような誰も知らなかった城が(昔行ったときは藪で途中でいつも断念してました…)こうして整備(藪採りだけでOK)されて見れることになったのも御師匠のおかげも大きいものと思います。これからもこうした名も無き城の発掘宜しく御願い致します!!*追伸:西方城のPは前にあった寺のPの手前に有ります。きちんと西方城用と書いてあるので便利です。すぐ横に二条城の切岸が見えており結構壮観な眺めでした。
by kouchans (2013-01-01 06:06) 

アテンザ23Z

>kouchansさん
長徳寺の駐車場から二条城の切岸が見えるんですか?
知りませんでした。今度寄って見てみたいと思います。
いろいろと情報ありがとうございます。
by アテンザ23Z (2013-01-02 23:20) 

kouchans

こんにちは。以前西方へ行ったときに横に怪しい段差が見えたのでなんだろう?と思っていたんですが、二条城から廻っていくとこの城の北側の郭群でした。日当たりの悪いところですし恐らく城の部分かなと思いましたが…一応西方庁舎の発行しているガイドマップにもさりげなくこの登城路と郭群が描かれています。西方は夏は草茫々でしたがこの時期は大丈夫かもしれませんので何かのついでにセットで見てみてください(色々と差し出がましくすみませんでした。)
by kouchans (2013-01-03 07:18) 

kouchans

何度もすみません。具体的には余湖さんのHPの絵に有る北側の凸状の郭部分が見やすくなったということでした。私的にこちら側を見るのが初めてだったので。未発見の遺構ということではありません。ご了承ください(がっかりされるとアレなので)でも私にはまだまだ知らないところが在りそうですね。楽しみにしています。何度も失礼致しました。
by kouchans (2013-01-03 07:31) 

アテンザ23Z

>kouchansさん
こんばんは。
実は今日初詣に行った帰りに、近くを通りかかったので、
平服で二条城に行ってきてしまいました(^^;

残念ながら薮は相変わらずでしたが、
大体の縄張りが頭に入っているせいと、
6年前とはキャッスラーとしての経験が段違いでしたので、
見逃していた遺構をかなり確認することができました。

台地基部には二重堀切もありますね。
2本目の堀切の向こうがすぐゴルフ場のフェアウェーで、
藪の中で堀切の写真撮ってたら、
ゴルフやってるおっちゃんから「何してんだ?この人。」って顔で
見られてしまいました。

二条城は、築城年代的には近世城郭ですが、
尾根筋の堀切など、中世的な縄張りの城ですね。
しかし虎口部には櫓門や横矢の掛かった櫓台を設けるなど、
備えが厳重であったことが伺えます。

西方城駐車場からも、確かに仰る通り北側の腰曲輪群の段々が、
はっきり確認できました。


見直してみると、なかなかいい城ですね。
時間があれば、いずれこの記事も書き直してみたいところです。
by アテンザ23Z (2013-01-03 21:37) 

kouchans

こんばんは。何だかお忙しいところせかしてしまったようで恐縮です・・・ 。一応新たな見所もあったようで良かったです。でわ、また新たなお城の紹介楽しみにしております!!
by kouchans (2013-01-04 04:58) 

アテンザ23Z

>kouchansさん
こちらこそ、今後共よろしくお願いします!
by アテンザ23Z (2013-01-06 16:02) 

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