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岩槻城 その1(埼玉県さいたま市) [古城めぐり(埼玉)]

 やっと梅雨が明けて天気が安定してきたので、久しぶりにちょろっと街中の城に行ってきた。岩槻城である。太田道灌が築いたことで有名な城で、城跡は城址公園となって整備されている。行くまでは、街中の城だし本丸近辺は都市化で壊滅し、本丸から離れた曲輪しか残っていないと聞いていたので、大した期待もせずに行ったのだが、とんでもない!素晴らしい遺構だった。
 現在公園化しているのは、広大な城域の最南東部に当たる、新曲輪と鍛治曲輪の部分である。公園の駐車場に車を止めるのに通り過ぎた部分だけでも城跡の雰囲気プンプンだったのだが、実際に歩いてみると、前述の2つの曲輪の土塁と空堀はほぼ完全に近い形で残っている。その規模がすごい!残っている土塁の全てが比高二重土塁になっていて、高い方の土塁の高さは5~6mはあるだろう。またこれらの土塁に付随して二つの馬出も明瞭に残っている。新曲輪の方は、郭内に野球場と建物ができているが、二重土塁はほとんど手を付けられずに残っているので、曲輪の形状などは概ね把握できる。
 公園に掲げられている縄張り図を見ると、曲輪の本丸側は広大な沼地(水堀)になっていたようだが、現在の公園を歩いてみると、確かに曲輪より5mほど低くなっていて往時の様子が思い浮かべられそうである。城の東側を流れる元荒川もほとんど堤防などが作られていないので、当時の状況にかなり近い雰囲気があり、なかなかいい感じである。公園の中央を突っ切っている車道は、ちょうど往時の水堀の辺りが一番低く、新曲輪と向こうの三ノ丸に向かって上り坂になっており、かなり当時の地形の雰囲気を残した形で造成されているようだ。実際この道を三ノ丸方向に進むと、丁度曲輪に入る辺りに崖というか、切岸に近い地形が残ってる部分もある。
 家に帰ってから地図と縄張り図を見比べてみたが、本丸近辺などの城の中枢部は確かに完全に宅地化していて何の痕跡も見出せないが、城の最外郭線に当たる大構(総構)の形状は道などの形で残っており、ほぼ追うことができそうである。また三ノ丸の地形なども部分的にもっと追えそうな所もあるようだ。次回はゆっくり時間をかけて、その辺も見て回りたい。街中の城跡としては、思った以上にかなり良好な遺構であった。

←大きな比高二重土塁

新曲輪の馬出→

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.950878/139.710453/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0

※後日見て回った岩槻城の惣構え遺構はこちら
※国土変遷アーカイブで昔の航空写真を見たところ、1960年代初頭までは本丸・二ノ丸など主要部分の曲輪もほとんど手付かずでその形状を残していたことがわかった。高度成長期に一気に宅地化が進んで破壊されたものだろう。今から考えれば、なんと惜しいことをしたものか。


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