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金山城 その1(群馬県太田市) [古城めぐり(群馬)]

←大手の復元石垣
 そんなわけでPC不在の期間が思ったより長くなってしまったので、結局約2ヶ月ほどブログを更新していなかったが、城巡りを休んでいたわけではない。今回は、先月中旬に行った金山城である。
 金山城は、新田義貞の時代からあったというが、定かではない。関東が古河公方足利氏と関東管領上杉氏との抗争で動乱の巷にあった中で(享徳の大乱)、新田と足利両者の流れを汲む岩松氏が、新田嫡流亡きあと新田氏を名乗って、この金山城を築いたとされる。その後、下克上で主家岩松(新田)氏を追い落とした横瀬氏が、この城を本拠に勢威を振るっていた。後に横瀬氏は、新田氏の譜代家臣として太平記にもその名が度々現れる由緒ある姓、由良氏に改称した。
 さてその金山城であるが、さすがに関東7名城の一つに数えられるだけあって規模が大きく、整備復元された石垣なども迫力がある。石垣に囲まれて緩やかなカーブを描きつつ伸びている大手道は、どことなく安土城の大手道を思わせる。城域は広く、大手から主郭に至る周囲の曲輪の他にも、西側の西城と呼ばれる区域まで多くの堀切や曲輪、馬場などが残る。車で上って行って着いた先の駐車場が、西城のすぐ横に当たるのだが、西城の入口に明確な虎口が残っていたりと、全体に遺構が明瞭に残っており飽きることがない。また、主郭裏を北にずーっと下っていくと、いくつかの堀切や曲輪を通過して、坂中城とも言われる北城に繋がっている。南には小山があり、出城もあるようだ。全てを見て回ると相当な時間が掛かる。
 この城で特異なのは、日の池・月の池と呼ばれる、2つの池が総石垣で作られていることだ。何かの宗教儀式が催されていたのではないかと推測されているそうだ。
 金山城の石垣は、整備復元されたものなので、古色蒼然とした雰囲気を醸し出すようなものではなく、その辺は城愛好家の中で意見が分かれているようである。ただ、主郭裏に回っていくと、昔ながらの石垣が小規模ではあるが残っている。私は見なかったが、主郭の南側にも昔の石垣が残っているそうである。そのほかでは西城の虎口横の土塁上にも石垣が残っている。
 私が訪れた日は、ちょうど秋の天気のいい日でハイキングに来ている家族連れが多かったが、主郭から背後に回って北城に至るルートは、訪れる人がほとんどなく、その分、藪も多かったが、山城歩きをしている者の目からすれば、こういうところの方が落ち着けるものだ。
 さて今は山城シーズン真っ盛りである。私の天敵、クモの巣地獄も落ち葉と共に吹き払われ、雑草が少なくなり藪が小さくなったこの季節。今シーズンはどれだけ回れるだろうか。
主郭背後の石垣→

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.317528/139.377794/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

※後日、八王子山などの本城以外の遺構を回ったので、こちらも合わせてご覧下さい。
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