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小倉城(栃木県日光市) [古城めぐり(栃木)]

 正月3日の日は、朝から初詣でで日光の二荒山神社などを回った後、夕方の仕事までの間に山城の登り初めをした。行ったのは、帰り道の例幣使街道間近かにある小倉城である。読み方は「こぐら」というようだ。もともと日光山衆徒が、北方への勢力拡大を狙う宇都宮氏に対して築いた城といわれる。その後、小田原北条氏の支援を得た日光山勢と宇都宮氏との間で、奪い奪われの争奪戦が繰り広げられたという。
 城への登り口は、南麓の消防団建物の近くにある。それとない小道が沢沿いに奥まで延びている。この道をちょっとあがっていくと、右側に高さ10m程度の大きな岩場がある。小倉城のある山の南尾根の先端に当たるのだが、どうも見る限り登城道を監視する見張り砦の雰囲気が濃厚である。もう少し登ったところから尾根の上に登って確認したが、自然地形ではあるが尾根上は道のように平坦になって山頂方面まで一直線に伸びており、どうも見張り砦で間違いないようだ。とすれば、今入ってきた道が大手道ということになる。沢沿いの道は沢の奥で消えてなくなるので、この尾根沿いに登ってしばらく行くと、中腹に腰曲輪が2段現れた。オッと思って探っていくと、腰曲輪の奥に土塁で防御された明確な虎口が現れた。
←虎口の土塁

そこを入ると同じく腰曲輪が一段あり、その更に上には小型の段曲輪が8段ほど大手道に沿って並んでいた。ところがそれが一度途切れて、更に40~50mほど登っていくと、また南斜面を半周程度取り巻く、長い腰曲輪が現れた。この曲輪を探ると、ほぼ真南と真東に合計2本の竪堀があった。また曲輪はここで途切れ、更に20mほど登るとようやく主郭エリアに到達した。
 主郭エリアは、山頂部に南北に連なる2つの曲輪が中心で、この二つの曲輪を堀切で分断している。この堀切はそのまま竪堀となって斜面を下っている。この二つの曲輪をここでは便宜上、北のやや高い方から順に主郭・副郭と呼ぶこととする。主郭も副郭も広さはあまりなく、居住性はほとんどないと言ってよい。副郭は東側に土塁を伴っているようだ。そして主郭・副郭ともそれぞれ曲輪より5mほど下の斜面(北側と南側)に横堀を伴っている。この横堀は形状がかなり明瞭で、主郭・副郭をそれぞれ半周程度にわたって防御している。大手道の副郭への寄り付きは土橋となっている。
副郭南の横堀→
←主郭と副郭を分断する堀切
 主郭の北西下方にはやや広めの段曲輪が2段ほどあり、井戸跡らしき窪みもあることから、ここが居住スペースになっていたのではないかと思われる。ここから北西に緩やかな尾根が延びており、どうも搦め手道が通っていたようだ。そしてこの搦め手方面からの攻撃を防御するため、段曲輪北西を堀切で分断しているが、規模はそれほどのものではない。
 以上が小倉城の概要である。基本的に南に伸びた緩やかな斜面を重点的に防御している。草木は比較的少ない方なので歩きやすく見通しも効き、構造の把握がしやすい。また木を切り倒してはあるが、城自体には人の手がほとんど入っていないらしく、虎口や横堀・竪堀など遺構が明瞭でわかりやすい。
 規模は小さめだが、近くの板橋城などより遥かに城らしい、登り初めに最適な山城だった。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.635082/139.719508/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0
タグ:中世山城
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