駒城(茨城県下妻市) [古城めぐり(茨城)]
この城は、先の2城(関城、大宝城)と比べると格段に知名度は落ちるが、同じく南北朝騒乱の際に北朝軍の攻撃の的となった城である。しかし城跡といっても、方形居館跡のほとんどは失われ、北辺のごく一部の土塁と堀跡がかすかに残存しているに過ぎない。したがって、今からでは当時の姿を思い浮かべることはほとんど不可能である。何しろ冒頭の写真に写っているのが、この城跡の残っているほぼ全てであるのだ。
何でも話によると、高師冬に率いられた幕府軍はこの小城を攻め落とすのに、何ヶ月も掛かったというが、これは城がすごいのでも戦上手が守っていたのでもなく、単に幕府軍の士気が低かったからではないかと推察される。というのも、すでにこのころには後の観応の擾乱に見られる足利幕府内の2大派閥が形成されていて、新たに関東に下ってきて軍事行動を開始した高師直の一族、師冬に対して、もともと関東を押さえていたもう一人の鎌倉府執事で足利直義派の上杉憲顕がかなり非協力的だったと見られるからである。そのため師冬軍の無勢は、南朝方の北畠親房の格好の宣伝材料になっていたと、ある文献には書かれている。
お城評価(満点=五つ星):☆(いくら南北朝の城といっても、遺構がこれだけでは・・・)
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.220180/139.920523/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0f0
こんにちわ^^
はじめまして
古城ですね。なにぶん歴史は弱いから・・
でも福島県の城はなつかしかったです
故郷です^^
by ひろたん (2008-01-23 14:36)