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海老ヶ島城(茨城県筑西市) [古城めぐり(茨城)]


 海老ヶ島城は、下館の町から筑波方面に南東に伸びる街道、県道14号線上に築かれた平城である。ちょうど結城氏と小田氏の勢力圏の境界に築かれた、文字通り「境目の城」である。そのため、結城氏がこの地に築城して以来、両者の間で激しい争奪戦が繰り広げられた。小田氏が勢力を失ってからは、それに代わって佐竹氏が争奪戦に加わることとなる。
 この城の築かれた場所は、大川という名の小川が二股に分岐して下流でまた合流する間のほぼ三角形の形状をした地である。城跡の周囲の内、東半分は一段低く水田となっているので、この地域の城によくあるように、かつては周囲が沼地で囲まれた要害の地であったものと思われる。
 関東の平城の例に漏れず、城跡は宅地化・耕地化が進んでいるが、関城と同様、断片的ではあるが思った以上に遺構が残っている。一番明確なのは、城の北端に当たる部分の土塁と水掘である。冒頭の写真がそれに当たるが、一部欠損しているものの数百mにわたって土塁が残存している。そのほかにもかなり埋められてはいるが曲輪間を分断していたと思われる堀跡が、わずかな溝となったりして残っている。このあたりの情報は、『図説 茨城の城郭』に詳しいが、歩き回った中で本書に記載されていない遺構もいくつかあった。一つは竹薮の中に、わずかな土塁と堀跡?(というより溝に近い。ほぼ真四角に周囲から区画されている)があったこと。もう一つは下の写真にあるような比較的大きな堀跡が城の北西端にあったこと。個人的には、この堀跡が一番城跡らしい雰囲気を感じた。それ以外にも、北縁部の土塁からほぼ直角に南に伸びる土塁もあった。これらの遺構の一部は、住宅地とは別にコンクリート塀で囲まれて、人が入れないようにして保護されているので、ちょっと確認しづらい。
堀跡→
 家に帰ってきてからGoogleMapの航空写真を眺めていると、何となく城の縄張りが浮かんでくるように感じる。このままこの大切な遺構を後世に残していってもらいたいものだ。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.254370/140.037060/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0
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