深津城(栃木県鹿沼市) [古城めぐり(栃木)]
←延命寺西側に残る堀跡
深津城は宇都宮市と鹿沼市の境界線近くにあり、武子川沿いの河岸段丘上に築かれた平城である。但し段丘と言っても、武子川自体が小さな小川であるため、高低差は数mに過ぎない。1kmほど南東にある犬飼城と連動して、壬生氏に対する防衛線として機能していたのではないかと推察される。宇都宮氏家臣の小林豊後守の築城といわれる。
城跡は現在、延命寺という寺の寺域になっているという事だったので、よくある単郭方形居館跡だと思って期待せずに行ったが、大きな誤りであった。延命寺があるのは城跡の一角に過ぎず、城域はもっと広くて、かなりの長さの堀跡が残っている。堀は規模はそれほど大きくは無いが、直線状ではなく微妙にS字にくねった形で走っていて、横矢掛りを意識したものと思われる。墓地の南東に周囲と堀で区画されたほぼ真四角の曲輪があるほかは、明確な曲輪の形状は残っておらず、どういう縄張りだったのかは推測の域を出ない。しかし竹薮化しながらも堀はよくその形を残しており、西側部分には二重堀と土塁が、また南東隅には櫓台と思われる高台もあり、思った以上に遺構がよく残っていたのには驚いた。
周囲は前述の寺のほか、畑や宅地となっているので、これ以上破壊が進まないよう、行政当局の速やかな対応を望みたいところだが、この鹿沼市という行政府は史跡保護に殊のほか興味が無いらしく、市内の城跡についぞ石碑の一つを建てることもしないという有様である。何とかならないものだろうか?
お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.540053/139.820187/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
深津城は宇都宮市と鹿沼市の境界線近くにあり、武子川沿いの河岸段丘上に築かれた平城である。但し段丘と言っても、武子川自体が小さな小川であるため、高低差は数mに過ぎない。1kmほど南東にある犬飼城と連動して、壬生氏に対する防衛線として機能していたのではないかと推察される。宇都宮氏家臣の小林豊後守の築城といわれる。
城跡は現在、延命寺という寺の寺域になっているという事だったので、よくある単郭方形居館跡だと思って期待せずに行ったが、大きな誤りであった。延命寺があるのは城跡の一角に過ぎず、城域はもっと広くて、かなりの長さの堀跡が残っている。堀は規模はそれほど大きくは無いが、直線状ではなく微妙にS字にくねった形で走っていて、横矢掛りを意識したものと思われる。墓地の南東に周囲と堀で区画されたほぼ真四角の曲輪があるほかは、明確な曲輪の形状は残っておらず、どういう縄張りだったのかは推測の域を出ない。しかし竹薮化しながらも堀はよくその形を残しており、西側部分には二重堀と土塁が、また南東隅には櫓台と思われる高台もあり、思った以上に遺構がよく残っていたのには驚いた。
周囲は前述の寺のほか、畑や宅地となっているので、これ以上破壊が進まないよう、行政当局の速やかな対応を望みたいところだが、この鹿沼市という行政府は史跡保護に殊のほか興味が無いらしく、市内の城跡についぞ石碑の一つを建てることもしないという有様である。何とかならないものだろうか?
これも堀跡。S字状にくねっている→
お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.540053/139.820187/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
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