清水城(栃木県佐野市) [古城めぐり(栃木)]
←本丸の土塁と堀跡
(2005年11月訪城)
清水城は、現在は興聖寺という寺の境内になっている。よくある方形居館跡と思ったが、文献によれば江戸中期頃の古絵図に、複郭式で水濠で囲まれていたと描かれているそうだ。今ではその面影は無く、寺域の周囲に方形に土塁が巡り、その外側を堀跡が囲んでいて、これが本丸跡である。周囲一帯は住宅地となっているので、それ以外の遺構は湮滅している。
この城は、1228年に佐野国綱が一族の岩崎義基のために築いた城と伝えられ、後の1521年佐野秀綱の居城となったらしい。その後、徳川の世になって佐野氏が改易されると共に廃城になったという。佐野氏の本拠唐沢山城の支城網の一翼を担っていたのであろう。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.349732/139.575977/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
(2005年11月訪城)
清水城は、現在は興聖寺という寺の境内になっている。よくある方形居館跡と思ったが、文献によれば江戸中期頃の古絵図に、複郭式で水濠で囲まれていたと描かれているそうだ。今ではその面影は無く、寺域の周囲に方形に土塁が巡り、その外側を堀跡が囲んでいて、これが本丸跡である。周囲一帯は住宅地となっているので、それ以外の遺構は湮滅している。
この城は、1228年に佐野国綱が一族の岩崎義基のために築いた城と伝えられ、後の1521年佐野秀綱の居城となったらしい。その後、徳川の世になって佐野氏が改易されると共に廃城になったという。佐野氏の本拠唐沢山城の支城網の一翼を担っていたのであろう。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.349732/139.575977/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
2008-04-14 01:14
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