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羽生田城(栃木県壬生町) [古城めぐり(栃木)]

xDSC05175.JPG←三ノ丸の空堀
(2005年11月訪城)
 羽生田城は、壬生氏の鹿沼進出に伴って築かれた城といわれ、壬生城鹿沼城の繋ぎの城としての役目を負っていた重要拠点だったようである。壬生氏は後に小田原北条氏の傘下となったので、佐竹氏の後援を受けて北条氏に対抗する宇都宮氏としては、何としても自領の安全保障のために壬生氏の領地を蚕食する必要があり、この羽生田城も攻防の的となったようである。
 城跡は現在、羽生田小学校が置かれているので、本丸・二の丸については破壊されている部分が多く、当時の遺構を確認することはできないが、小学校の西側の薮の中などに、三の丸外周の土塁や堀跡などが明瞭に残っている。基本的にこの三の丸周辺が一番遺構の残りが良い。もともと段丘の上の要害に築かれた城で、小学校の南は現在でも崖状になっている。東側も畑から切岸を築いて10mほどの高低差を設けていて、薮の中には土塁らしい遺構も残っている。また西の方にも土塁跡などが残っていて、何となく城の感じはつかめる程度の遺構は残っているが、特に城の西側の薮がひどく、もう少し整備をお願いしたいところである。

【2010年1月更新】
 近くの城に行った帰り、まだ日のあるうちに羽生田城に通りかかったので、空堀を見に再訪した。以前行った時にはまだ藪が深く、天敵のクモもウヨウヨいそうで空堀突入は断念したが、今回は冬場なので思う存分空堀を巡り歩いた。
 以前の記述の通り、羽生田城は本丸と二ノ丸が小学校に変貌している為、遺構が残っているのは三ノ丸の西半分となる。三ノ丸の外周には高さ2~3mの土塁が防御を固め、その周囲に大規模な空堀が往時の約半分の長さで残っている。この堀は深さ8m程、幅10m程もある大きなもので、三ノ丸外周をぐるりと囲んでいる。空堀は北西でほぼ直角に曲がっているが、良く見ると三ノ丸北西角の櫓台が微妙に張り出して横矢が掛かっていて、堀底の敵を迎撃できるようになっている。
 国土変遷アーカイブの昭和20年代の写真を見ると、小学校は本丸にしかなく、本丸~三ノ丸迄の堀と櫓台等がほぼ完存していたことがわかる。小学校が拡張された時に破壊されており、今から思えば惜しいことをしたものである。羽生田小学校西側周囲をめぐる道路は、二ノ丸空堀の名残である。崖端に築かれた本丸を、幾重にも堀と曲輪が囲んでいる縄張は、岡本城と同じ構造である。
 残念ながらかなり破壊が進んでしまったとはいえ、現存する遺構だけでも一見の価値のある城である。今回空堀を歩いて、以前はわからなかった遺構の良さを確認できたので、以前のお城評価を訂正した。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.474238/139.777293/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
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