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葛尾城(長野県坂城町) [古城めぐり(長野)]

DSC02613.JPG←葛尾城遠望(右側の峰)、
                               左の峰が姫城
 葛尾城は、北信の戦国大名村上氏の本拠である。村上氏は南北朝期には北信一帯に勢力を張っていた豪族で、元弘の争乱で鎌倉幕府軍に攻められた際に、後醍醐天皇の皇子大塔宮護良親王を吉野の蔵王堂から逃がすため、自ら身代わりとなって果てた村上義光は、その一族である。戦国後半に甲斐の武田信玄が信濃に侵攻してくると、村上義清は自ら軍を率いて迎え撃ち、上田原砥石崩れと二度に渡って強豪武田軍を打ち破って見せた。力攻めでは勝てないと見た信玄は、調略で村上陣営の切り崩しを図り、ついに圧迫に耐え切れなくなった義清は、葛尾城を捨てて落ち延びることとなった。そして、その向かった先が越後の長尾景虎、後の上杉謙信で、このことが12年間で5回にわたって干戈を交えた川中島の戦いの導火線となったことは、よく人の知るところである。
 そんなわけで葛尾城はそれ自体は実戦の経験の少ない城であるが、五里ヶ峰より伸びる峻険な尾根上に築かれた山城で、千曲川近くまでその尾根は伸びており、葛尾城から下った尾根の先には出城である「姫城」がある(今回は時間の関係で行かなかった)。そのほかにも周囲には出浦城狐落城和合城など、村上氏の領国経営を支える支城群が林立し、鉄壁の防御網を構築していた。何より、この葛尾城自体が国道18号線から間近に見ると、周囲を睥睨し威圧するようにそびえており、ひとたび敵軍が入り込めばあっという間に察知されて反撃に合うという、防御にはこれ以上ないぐらいの屈指の立地条件に恵まれているのである。
 登り口は坂城神社の裏手にあるが、そこからの登城道は極めて辛い。これでもかというぐらい傾斜のきつい坂道が続き、延々4~50分も掛かるのである。比高375mの急峻な道で、うわさには聞いていたが久しぶりに辛い訪城だった。(おそらく、まともに麓から歩いて登った七尾城以来。)しかもこの山の岩石は風化すると砂礫となる性質らしく、急な道に砂礫が撒かれているようにあるので、滑って歩きづらい。そんな道を休み休み苦労して登ると、ようやく城域に達するが、あくまで詰の城であるため規模は小さい。小ぶりの主郭を中心にして手前に二の郭、三の郭とそれに続く段曲輪群。主郭背後にもいくつかの曲輪が細長く一直線に伸びていて、要所を合計4~5本の堀切で分断している。曲輪はどれも大きくはないが、堀切は皆かなり大きい。この辺はさすが北信の強豪の面目躍如である。
 この城は何より主郭からの眺望が素晴らしい。千曲川流域が丸見えである。調略で諸城を下しつつ眼下に迫り来る圧倒的な武田軍を、勇将村上義清はどんな思いで眺めていたのだろうか。大河ドラマの「武田信玄」で上條恒彦演じる村上義清の、「晴信め、わしと太刀をもって戦えーーー!」という魂の叫びのような声が、聞こえてくるようだ。
大堀切→DSC02514.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆☆(歴史的に重要な城なので)
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.473884/138.173311/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
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