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新田義宗墓所(群馬県沼田市) [その他の史跡巡り]

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 群馬県沼田市。そこはかつて新田義貞の忘れ形見、義宗が従兄弟の脇屋義治と共に北朝方と最後の戦いをした場所である。義宗は元々義貞の3男にすぎなかったが、嫡長子の義顕が南北朝争乱初頭の越前金ヶ崎の戦いで戦死し、庶子である次男の義興が矢口渡で謀殺された後は、義貞亡き後の新田宗家を率いる総帥として、尊氏と戦った武蔵野合戦などで奮闘した。しかし大勢は日に日に北朝方に傾いていき南朝方の劣勢覆いがたいところ、2代将軍義詮、鎌倉公方基氏が相次いで病死した虚をついて、1368年新田党の拠る越後より挙兵、沼田で合戦となり奮闘むなしく戦死したと伝えられている。
 墓は沼田市高平地区にある雲谷寺にある。墓は小さな五輪塔で、現地解説板によれば、義宗の執事であった船田長門守経政(新田義貞の執事船田善昌の子)が、3回忌である1370年に戦死した故主や同僚を偲んで、古戦場近くのこの地に墓を建てたといわれる。その墓は、天気の良い日には遠くの山が青々と見える風光明美な地にたたずむように建てられており、当時の戦乱から遥かな時を隔てて静かに眠っている様子が、私の胸に無限の感慨を起こさせずにはいられない。

 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.667352/139.136374/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0
タグ:墓所
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