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鹿沼城(栃木県鹿沼市) [古城めぐり(栃木)]

DSC04704.JPG←主郭西方の大空堀
 鹿沼城は、当初鹿沼氏、後には壬生氏の本拠となった城である。壬生氏はもともと壬生城を本拠としていたが、永正年間(1504~20年)に勢力伸張に伴って鹿沼氏を破り、本拠を鹿沼城に移した。壬生氏の戦国期の動きは非常に複雑でわかりづらい。元々はおそらく宇都宮氏の家臣、または一族筋であったのだが、かなり独立領主的傾向が強く、先の通り鹿沼氏を滅ぼしたり、主家宇都宮家乗っ取りをしたりする一方、宇都宮氏重臣として動いていた時期もあったようである。戦国後期になると壬生氏は小田原北条氏側について後援を受け、北条氏より板橋将監親棟が派遣されて板橋城を占拠し、宇都宮領を北西方から圧迫するなど、反北条方で佐竹氏の後援を受ける宇都宮氏とは深刻な対立関係となった。しかし最終的には豊臣秀吉の小田原攻めの際、北条氏に味方して時の当主壬生義雄が小田原城に詰めたが酒匂川の陣中で陣没したため、後嗣なく断絶した。
 そんな戦国下野の動乱の縮図のような壬生氏の本拠である鹿沼城は、現在の御殿山公園にある。鹿沼の中心地にあり市街化が激しく、主郭跡は野球場となるなど公園化も著しいので全く期待していなかったのだが、かなり城跡らしい遺構が残っていたのには驚いた。特に主郭西方には横矢の掛かった大規模な空堀が残り、一見の価値がある。空堀の上には櫓台がそびえて、外部から近づく敵を威圧している。また野球場が作られた主郭周りにも往時のものと思われる土塁がほぼ全周に渡って残り、その外側にも帯曲輪らしい跡がある。テニスコートや武道館が築かれている部分も曲輪跡のようである。真岡城と同様、街のど真ん中にしては素晴らしい遺構である。
 鹿沼市は史跡保護に全く興味を示さない残念な自治体であるが、この素晴らしい遺構は是非保護して後世に残してもらいたいものである。
主郭周囲の土塁と帯曲輪→DSC04666.JPG
DSC04718.JPG←大空堀の北端付近

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.568149/139.742403/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0
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