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笠間城 その1(茨城県笠間市) [古城めぐり(茨城)]

DSC05345.JPG←天守石垣
 笠間城は、関東では珍しい石垣の城として知られている。NHK-BSで放映されていた「司馬遼太郎と城を歩く」のオープニングで出てくる石垣は、この笠間城天守のものである。

 もともと笠間氏の城で、笠間氏は宇都宮の一門、塩谷氏の分かれであった。2つの寺院勢力が争っていたときに、宇都宮氏の支援を受けたことが基で、この地に宇都宮氏の勢力が入ることとなった。笠間氏は同じ宇都宮氏配下で隣接する益子氏とは折り合いが悪かったようで、何度も戦闘を交えている。豊臣秀吉の小田原攻めの際、主家宇都宮氏に逆らって城を攻められ、笠間氏は滅亡した。しかし城はその後も城主を変えながら残り、江戸時代にも笠間藩の城として幕末まで存続した。関東で山城が幕末まで残った稀有な例である。なお現在に残る石垣は、笠間氏滅亡後、蒲生氏支配時代に築かれたものである。

 城跡の遺構は非常に良く残っている。しかも山城でありながら天守台を持つ数少ない城の一つであるため、独特の縄張りを持っている。すなわち、よく見られる近世平山城などでは本丸内の一角に天守台が設けられるのが鉄則だが、この城では本丸とは独立した曲輪として、山頂に天守台曲輪が設けられているのである。本丸と天守台の間には堀切まで設けられている。もともとは物見であった山頂の曲輪を天守台に仕立て直したものであろう。天守台のほかでは、本丸虎口や大手門跡などに石垣が残る。また櫓台や土塁、堀切、横堀、井戸跡なども随所に残り、往時の縄張りをほぼ旧状のまま追うことができる。近世城郭として用いられた部分は公園化されていて歩きやすいが、それ以外では、千人溜りの西側の谷あいなどにも何段もの曲輪や横堀の跡があり中世山城の遺構そのものだが、全く未整備で薮が多いので今回は入口近くで撤退した。せっかくの貴重な遺構なのだから、道路建設などよりこういうところに金をかけて整備してもらいたいものだ。

 本城以外では、浅野時代に築かれた下屋敷跡や、浅野氏家老の大石邸跡(忠臣蔵の大石内蔵助の先祖)、八幡櫓の移築現存櫓もある。また城山の北側、坂尾集落には喰い違い土塁の遺構も残る。

 近世まで使用された関東の山城としては、佐野の唐沢山城、那須烏山の烏山城などと並び、かなり大規模な貴重な山城遺構である。
大手門手前の横堀→DSC05268.JPG
DSC05271.JPG←大手門跡、両側に石垣が残る
本丸虎口の石垣→DSC05298.JPG
DSC05333.JPG←本丸と天守台の間の大堀切
坂尾の喰い違い土塁→DSC05458.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆☆
 場所:【本城】https://maps.gsi.go.jp/#16/36.382587/140.267451/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0
    【下屋敷跡】https://maps.gsi.go.jp/#16/36.384349/140.259855/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0
    【移築八幡櫓】https://maps.gsi.go.jp/#16/36.390585/140.258589/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0
    【坂尾の土塁】https://maps.gsi.go.jp/#16/36.391294/140.268373/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0

※外郭などの遺構の再訪記はこちら


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