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山野辺城(山形県山辺町) [古城めぐり(山形)]

DSC05494.JPG
 山野辺城は、山辺城とも記載され、前9年の役の際に須賀川山辺氏が領有築城したのが始まりとされる。後には、土豪の山野辺氏が入り、山野辺氏は最上氏の家臣となって活躍した。時代は飛んで1601年、関ヶ原勝利の後57万石の大大名となった最上義光は4男の義忠を楯岡から山野辺に移封した。山野辺義忠は幼少のみぎり、人質として徳川家康の元にいたことがあり、幼くしてその才で家康を感嘆ならしめたと言われている。そして山野辺入部後わずか20年ほどの治世であったが、城と城下町の整備を行い、現在に至るまで山辺では名君と慕われているそうである。しかし、その才が最上家に思わぬ不幸を招くこととなった。義光の孫の義俊が当主であったが、酒色にふける暗君であったため、山野辺義忠を当主に推す家臣が多くなりお家騒動に発展してしまった。これが元で最上家は改易となり、近江でわずかな捨扶持で家名存続するだけとなった。一方の義忠はその才を惜しまれて、水戸徳川家に客分家老として一万石で招かれた。以後、水戸家で歴代藩主の信頼厚い家老として活躍する家系となって幕末まで存続した。
 城は現在市街地化してしまっており、ほとんどの遺構は失われている。西部の出羽丘陵から村山盆地に向けて突き出た丘陵部の舌端部を利用した絶好の位置に築かれ、現在の山野辺小学校あたりを主郭とした輪郭式の平山城であったようだ。周囲には切岸や堀跡らしい地形がわずかに残るだけである。
 なお、後年白河藩が出羽の飛び地支配のために旧二ノ丸に置いた陣屋の玄関が町の文化財として残っている。
切岸跡?→DSC05517.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.297128/140.265509/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0
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