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漆川古戦場(山形県大江町) [その他の史跡巡り]

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 漆川古戦場は、南北朝の動乱期に北朝方の斯波兼頼と南朝方の寒河江氏一族が激突した戦いの地である。すなわち、足利尊氏は奥州の押さえとして奥州管領として斯波家兼を下向させたが(大崎氏の祖)、家兼はさらに出羽を押さえるため次男の兼頼(最上氏の祖)を出羽按察使(または羽州管領。諸説あり)として山形に入部させた。兼頼は有能で、着々と山形に地歩を築き、山形方面の最大の南朝勢力である寒河江氏と対峙するに至った。そして1367年に室町将軍足利義詮と鎌倉公方足利基氏が相次いで死去すると、その間隙をぬって各地の南朝の残存勢力が蜂起し、その中で寒河江一族と斯波兼頼の軍勢が翌68年に漆川の地で激突した。しかし北朝側が圧倒的に優勢だったらしく、寒河江一族は総大将の溝延茂信、左沢元時、柴橋懐廣、同直于、小泉時于らが萩袋城に逃れて自刃、さらに風病によって戦線を離れていた安孫子某が戦いの翌日この地で追腹を切って、都合一族63人が自害するという壊滅的敗北を喫して山形の南朝勢力は壊滅、北朝方の優勢が決することとなった。

 古戦場には現在石碑が建てられているが、これまた例の如く昭和初期の皇国史観の立場で書かれたしょうもない碑文である。南朝方を「官軍」と呼び、「逆賊足利尊氏」ときた。いい加減時代錯誤な碑文は書き改めて欲しいものだが・・・。

 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.375089/140.186319/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
タグ:古戦場
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ノリパ

歴史についてのいろんな意見は、知識がなくなにも言えませんが。
でも、アテンザ23Zさんさんが訪問して、かつてに思いをはせる。
それだけで、過去の英霊達も浮かばれるんじゃないですか。
by ノリパ (2008-12-28 17:47) 

アテンザ23Z

ノリパさん、こんばんは。
古戦場跡は城と違って、遺構があるわけでも何でもないので、具体的に誰がどのあたりに陣を敷いたという事実が残ってないと、なかなか想像がつかないところがあります。
ただ、歴史的なその場所に立ったというだけで、行ってみる価値はあると思っています。
by アテンザ23Z (2008-12-29 22:51) 

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