天幕城(群馬県伊勢崎市) [古城めぐり(群馬)]
←本丸遠景、手前は二ノ丸
天幕城は、赤堀城の支城として築かれた。戦国上野の動乱に翻弄された城らしく、那波氏、桐生氏、由良氏、小田原北条氏と、幾多の勢力の下を変転した。結局、北条氏滅亡に伴って廃城となった。
天幕城は、蕨沢川とその旧河道の低地に挟まれた台地上に築かれている。その立地条件からして赤堀城と似ているようだ。一番の高地に本丸を置き、その西と北には土塁が明瞭に残っている。西側の土塁は幅が広く、ただの土塁としてではなく、櫓台か曲輪の一緒として使われたのではないかと想像される。この土塁の更に西側にも腰曲輪があり、その南端には水の手曲輪まで残っている。本丸の東と北は二ノ丸が囲み、更にその外側は蕨沢川旧河道の低地を利用した広い外堀となっている。本丸南側には三ノ丸がある。三ノ丸は用水路が東西に突っ切っているので、多少破壊されているようだ。
城跡は現在では本丸・三ノ丸が畑に、二ノ丸はお花畑になっている。また外堀は「天幕城趾あかぼり蓮園」になっている。この日は初秋の良く晴れた暖かな日で、真っ赤な花が咲き誇ってきれいだった。赤堀城ほどの土塁のダイナミックさはないが、良好な遺構が残る城である。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.397520/139.228921/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
天幕城は、赤堀城の支城として築かれた。戦国上野の動乱に翻弄された城らしく、那波氏、桐生氏、由良氏、小田原北条氏と、幾多の勢力の下を変転した。結局、北条氏滅亡に伴って廃城となった。
天幕城は、蕨沢川とその旧河道の低地に挟まれた台地上に築かれている。その立地条件からして赤堀城と似ているようだ。一番の高地に本丸を置き、その西と北には土塁が明瞭に残っている。西側の土塁は幅が広く、ただの土塁としてではなく、櫓台か曲輪の一緒として使われたのではないかと想像される。この土塁の更に西側にも腰曲輪があり、その南端には水の手曲輪まで残っている。本丸の東と北は二ノ丸が囲み、更にその外側は蕨沢川旧河道の低地を利用した広い外堀となっている。本丸南側には三ノ丸がある。三ノ丸は用水路が東西に突っ切っているので、多少破壊されているようだ。
城跡は現在では本丸・三ノ丸が畑に、二ノ丸はお花畑になっている。また外堀は「天幕城趾あかぼり蓮園」になっている。この日は初秋の良く晴れた暖かな日で、真っ赤な花が咲き誇ってきれいだった。赤堀城ほどの土塁のダイナミックさはないが、良好な遺構が残る城である。
外堀と二の丸切岸→
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.397520/139.228921/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
赤いサルビア?が映えますね。
by ノリパ (2008-12-30 21:56)
ですかねぇ?すいません。わたし花の名前は全然わからないんです・・・。
by アテンザ23Z (2008-12-31 01:34)