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女渕城(群馬県前橋市) [古城めぐり(群馬)]

DSC07004.JPG←池(水堀)に面した曲輪
 女渕城は、水堀を多用した平城である。誰がいつ城を築いたかは定かではないが、足利直義(将軍尊氏の弟)の名と共に古文書に城の名が登場するらしい。北条・上杉・武田による関東三国志の動乱の中で、幾多の城主の変遷を迎えた。最終的には武田氏滅亡後、小田原北条氏が南上野を領国化して北爪氏をこの城に配したが、天正18年の北条氏滅亡に伴って廃城となった。
 女渕城の西に隣接して大きな貯水池が残るが、これは当時からのものであり、その広さから考えて人工のものではなく、もともとこの地にあった池をうまく縄張りに組み入れたものであろう。城は連郭式の縄張りで、南北に連なる4つの曲輪(北から北曲輪・本丸・二ノ丸・三ノ丸)と池を挟んで西曲輪の計5つの曲輪から構成されていたようである。現在は公園・畑・宅地および御霊神社境内となっている。かなり改変を受けてはいるが、往時の縄張りはほぼ追うことができる。水堀も一部は埋め立てられているが、その形状を残している部分が多く、二ノ丸南の道路も元は二ノ丸と三ノ丸を分断する水堀跡だったようである。道路際に三ノ丸の土塁跡も残っている。残念なのは、三ノ丸西の池が全て埋め立てられて公園になってしまっていたことである。また本丸などの池に面した切岸が護岸工事でコンクリートに変貌しているが、これはやむを得ないところであろう。当時の縄張りをほぼすべて追うことのできる、数少ない貴重な街中の平城である。
北曲輪の堀跡、→DSC07021.JPG
  ここが一番城跡らしく見える

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.413495/139.202206/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
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ノリパ

護岸のコンクリート化は、いいじゃないですか。埋め立てられてなくなる
よりも。と思っている今日この頃です。
by ノリパ (2009-01-01 17:40) 

アテンザ23Z

私もそう思います。
情緒はないですが、
台風や洪水などで削られてしまうよりはいいと思っています。
ましてや遺構の破壊と比べれば・・・。

この城は、改変されながらも大事に保存されているのがよくわかる
良い城だと思います。
by アテンザ23Z (2009-01-01 20:03) 

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