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膳城(群馬県前橋市) [古城めぐり(群馬)]

DSC07129.JPG←複雑に横矢の掛かる堀
 膳城は、2本の小河川に挟まれた台地上に築かれた城である。この地域に多い、いわゆる丘城である。築城年代は定かではないが、膳氏の居城であったのではないかといわれている。膳氏は悲しい歴史の一族で、周辺土豪との争いで何度も城を落とされて逃亡し、20年近く桐生氏に奪われていたこともあった。最終的には1572年に由良氏に攻められて城を落ち延び、以後城に戻ることはなかった。その後、上州を舞台に繰り広げられた北条、上杉、武田という強豪3氏による関東三国志の中で城主は変遷する。その中で城も整備拡張され、規模の大きい城となった。
 膳城で有名なのは1580年の武田勝頼による膳城素肌攻めである。すなわち、東上州を攻略しつつあった武田勝頼は家臣と平服で巡行していたところ、酒に酔って喧嘩を始めた城兵がこの一行に襲い掛かり、怒った勝頼一行はそのまま甲冑を着けずに城を攻め落としたというのである。伝承の域を出ないが、勝頼の剛勇ぶりを良く伝える逸話である。名門武田家を滅ぼしたことでとかく評価の低い勝頼であるが、武将としてはやはり傑出していたのだろう。
 城は現在本丸とその周囲のみが公園化されて残り、それ以外は宅地化されてしまっているが、この本丸周辺だけでも見ごたえがある。公園化といっても、変な改変の手を加えることなく原状維持と散策路案内を主眼としているので、史跡保存の見本としたいレベルである。各曲輪は複雑に横矢を掛け、堀は屈曲しながら曲輪間を分断し、土塁や櫓台、土橋も明瞭に残っている。道路から土橋を渡るとすぐ本丸になるが、本丸の四周は空堀で防御されている。本丸東側は馬出しだったようである。本丸西側には二ノ丸などの曲輪が続き、本丸南側には大きな櫓台を伴った三ノ丸がある。また本丸から道を挟んで東側にも堀跡の一部が残っているがこれは前述の馬出しの遺構であろう。とにかく素晴らしい遺構群で、とても言葉で伝えられるものではない。この地域の軍事的緊張感をまざまざと見せ付けられる見事な遺構である。すぐ近くの山上城などと比べると、かなり高度な縄張りであるので、地域防衛の重要拠点となっていたのではないだろうか?後でGoogleMapの航空写真などで調べると、大手虎口跡なども民家の裏に残っているようなので、もう一度再訪したい。
道の反対側にも堀跡が残る→DSC07146.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.421248/139.223235/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
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ノリパ

土塁と思いきや、わざわざ掘ってあるんですね、しかもカクカクと。
きれいに残っているっていいですね。勝頼公は、とかく評価が低いです
けど、武人としてはなかなかだったんですね。勉強します。
by ノリパ (2009-01-14 21:21) 

アテンザ23Z

東国の激戦区には巧妙な土の城が多く、
石垣の城とはまた異なる良さがあります。

武田勝頼は、守勢に回っていたさなかに、
甲府から佐久を回り、碓氷峠を越えて、
はるかこの地まで自ら軍を率いて進軍してきていたんです。
なかなかのものと思います。
by アテンザ23Z (2009-01-15 01:29) 

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