SSブログ

泣いて馬謖を斬る ~三国志 蜀書 諸葛亮伝より [雑感]

1年以上前から、ちくま学芸文庫の三国志を読みなおしている。
これは、小説のいわゆる演義ではない。
司馬遷が史記において創始した史書の体例に則った、歴史書(正史)である。

寝る前にちょこっと読むぐらいなので、今月やっと蜀書に入ったところだ。
三国時代きっての名宰相、諸葛亮の伝にはこの故事が出てくる。

諸葛亮が周到な準備をして臨んだ、第1回北伐。
先鋒の大将に抜擢した馬謖は街亭で魏軍に大敗し、蜀軍の軍事計画全体が狂ってしまった。
諸葛亮は、その才を愛した愛弟子のような馬謖を、周囲の反対を押し切って軍法に則り涙ながらに処刑した。

果たして正しい決断だったのかどうか。難しい問題である。

秦の穆公は2度も敗戦した孟明視を宰相として起用し続けた。
孟明視は、穆公の信頼に応えるべく、身を慎み善政を施し国を富ませ、
ついに3度目で勝利をつかんだ。

晋の荀林父は邲の戦いで大敗を喫したが、罪を許された。
そして数年後、恐るべき強敵の赤狄を打ち破り、主君景公の信頼に応えた。

また日本の南北朝の抗争では、
足利方の大将たちは、総大将の尊氏はもとより、
細川顕氏、山名時氏など何度も戦いに敗れているが、
最後には劣勢を盛り返し、室町幕府の礎を築いた。

もとより戦の勝ち負けは時の運である。
たった一度の敗戦の責で、斬首するのが正しいのかどうか。

しかし諸葛亮にも理由があった。
可愛がってきた部下の失敗を許せば、不公正とみなされるであろう。
そうすれば諸葛亮の政治は信頼を失う。
また周到な準備をして乾坤一擲の攻めに出た北伐は、
劉備より後事を託された諸葛亮にとって、人生の全てをかけた重要な戦いであっただろう。
それを緒戦で台無しにする大失態は、許せるものではなかったのかもしれない。

すべては結果で判断するしかないのであろう。
馬謖を用い続けながら、再度敗北を喫し、北伐が成らなければ、
人を見る明がなく、ひいきをしたとみなされる。
馬謖を斬っても結局北伐が成らなければ、
有為な人材をあたら無にしたと謗られる。

非常の決断とは、何が正しいのか。難しいものだ。
馬良・馬謖兄弟の伝まで読み進めたところで、ふとそう思った。
nice!(2)  コメント(4)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 2

コメント 4

ノリパ

それがし吉川英治先生の小説で三国志を読んでたクチなので、
正史は読んだことありません。確かに1度の失敗でクビ切られるのなら、
それがし会社を何回クビになったことだろう・・・
by ノリパ (2009-02-01 05:54) 

アテンザ23Z

この孔明の処置に対する批判は、西晋の時代にはあったようです。
by アテンザ23Z (2009-02-02 01:26) 

takagaki

当世では、
それが非情なのか、
都合なのかさえ、
見分けがつかないことになってますね。
by takagaki (2009-02-04 08:59) 

アテンザ23Z

それだけ判断が分かれる難しい問題ということなんでしょうね。
by アテンザ23Z (2009-02-04 19:39) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント

トラックバック 0