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八間長者城(長野県松本市) [古城めぐり(長野)]

DSC07718.JPG←長大な竪堀
 八間長者城は、松本市と塩尻市の境近く、崖の湯温泉の裏手の山地に展開する山城である。歴史的由来は定かではないが、この地の土豪の波多氏(または波多腰氏とも)の拠った城とも言われている。しかし戦国後期には、信濃守護の小笠原氏の松本平防衛城塞群の一つになったと考えられ、武田信玄が信濃を攻略すると武田氏の持ち城になったと思われる。
 八間長者城は山城といっても山岳の峻険さを頼みとする要害というよりも、なだらかな傾斜地に広大な曲輪群を展開する軍事駐屯地という色彩が強いようだ。城域は大きく2つに大別できる。谷を挟んで上部に展開する山城部と谷の下部に展開する丘城部に別れる。中でも興味深いのは下部の丘城部の縄張りで、2つの長大な竪堀を主軸にしてその左右に曲輪を展開する構造である。小笠原氏系の城郭ではほかにあまり見られない構造だ。この曲輪群は、前述の竪堀だけでなく横堀で防御されているものもある。曲輪は広いが全体に傾斜が残っているので、あまり大きな建築物ではなく小さい建物がいくつも建っていたのではないかと考えられる。2本の竪堀は上部で合流し、合流点には物見台と思われる高台がある。また丘城部の最上部には、普通なら主郭に相当する曲輪が置かれている。
 この曲輪の裏は谷に落ち込む急斜面になっていて竪堀でも防御されているが、上部の山城部に向かって狭い土橋状の通路が尾根筋に伸びている。山城部は単純な縄張りで、裏の尾根筋を防御する小さい堀切があるほかは単に曲輪を連ねただけである。曲輪はそれほどの広さを持たないので、詰城的な機能を持っていたのではないかと考えられる。
 これら2つの構造の間の谷間には丸い窪みが残っているので、水の手があったのではないかと想定される。
 遺構はほぼ完存しており、規模も大きくアクセスもしやすいので、お勧めな城である。ただ竪堀には植林をしているようなので、10年も経てば林に埋もれてしまう可能性がある。
中腹の曲輪を防御する横堀→DSC07658.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.153680/138.012607/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
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ノリパ

昔は木が生えてないですよね。生えていたら侵入許しちゃいますから。
お城の周りは、木を切ってほしい、というのがそれがしの願いです。
by ノリパ (2009-02-12 18:26) 

アテンザ23Z

私も、遺構の確認のため、ひどい薮に突入せざるをえなくなるたびに、
そう思います。
でも下手に伐採すると、
大雨などの悪天候で土塁などが崩れてしまうので、
やむを得ないのでしょうね。
by アテンザ23Z (2009-02-12 19:57) 

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