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伊深城(長野県松本市) [古城めぐり(長野)]

DSC08443.JPG←後背から見た二重堀切と主郭
 伊深城は、室町時代中期に井深氏によって築かれたといわれている。松本北部を守る重要拠点で、周辺にある早落城稲倉城などと連携して城塞群を構成していたようである。井深氏の後、後庁氏の領するところとなったが、稲倉城の赤沢左衛門尉に攻略された。1550年の武田氏による府中侵攻の際には、「イヌイの城」(埴原城?)の陥落に伴って、他の4城と共に自落した。その後も使われ続けたが、武田氏滅亡後、府中に復帰した小笠原貞慶に滅ぼされ廃城になったという。
 伊深城はその名もずばり伊深城山に築かれており、この山は地図帳などにも載っているので探すのには困らないだろう。麓の若宮八幡社から登山道が整備されており、主郭部もきれいに伐採されているので、非常に遺構がわかりやすい。登山道を登って城のある尾根に出ると、小さな枡形虎口がある。その先を更に20mほど登っていくと、小さな堀切を越えて腰曲輪のような第3郭に至る。その上にやや広めの第2郭、更にそこから5mほどの高低差を持って主郭がそびえている。主郭はたいした大きさではないが、周囲に石積みが所々残っており、往時は主郭全周を石積みが囲んでいたのだろう。主郭背後には高低差10数mもある巨大な切岸で堀切が掘られている。道もないので、ここを降りてまた登るのは膝が痛む足では半端じゃなく辛かった。なおこの堀切は二重堀切となっている。その先は曲輪とはいえないような痩せ尾根地形が伸びているが、そこにも規模は小さいが4~5本の堀切が掘られていて、尾根筋からの進入を防御している。一方、これとは別に主郭の南西側に20mほど下ったところに2本の横堀と、これを監視するように小さな帯郭らしき地形が残っている。この帯郭のところには低い石積みが残っており、これは往時の遺構としておきたい。
 全体の規模は決して大きくはないが、高低差の大きい縄張りでなかなか充実した城である。
主郭の石積み→DSC08402.JPG
DSC08454.JPG←主郭南西中腹にある横堀

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.287360/137.977424/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
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ノリパ

高低差10数mというのは、ちょとした石垣よりも高いですね。
痛めたヒザでは、しんどい高さですね。
by ノリパ (2009-02-12 18:45) 

アテンザ23Z

おまけに道がないので、
急な斜面を木につかまりながら無理やり上り下りしました。
こういうところでは滑り落ちそうになったりもするので、
大変です。
by アテンザ23Z (2009-02-12 20:20) 

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