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早落城(長野県松本市) [古城めぐり(長野)]

DSC08658.JPG←早落城遠景
 早落城は元の名を洞城という。稲倉城主赤沢氏の持ち城であったが、信濃守護小笠原長時はこれを奪って伊深城主後庁氏に与えた。1550年に武田信玄が府中に侵攻すると、赤沢氏はいち早くこれに呼応し、真っ先にこの城を落としたため早落城の名が付いたという。赤沢氏は家臣の林氏に護らせたが、1582年に廃城となった。
 城は、山城というより平山城に近い。信州の山城としては異例なぐらい低い位置に築かれており、麓からの比高はわずか70m程しかない。縄張りも単純で、南北に直列に曲輪を連ねた連郭式で曲輪間を堀切で分断しているが、どの堀切も規模は小さくそれほどの防御性を持っているようには見えない。また城の南側は緩やかな丘陵状の斜面となっていて、なぜここに厳重な防御施設を構築しないのか、不思議なぐらいである。伊深城の眼と鼻の先にあるので、出城程度の役目しか負っていなかったのかもしれないが、これでは攻められたらひとたまりもないだろう。実際に行ってみると早落としの意味が良くわかる城である。
主郭の堀切→DSC08518.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.277777/137.985277/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
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ノリパ

でもそのヒザだから良かったじゃないですか。低くて。
by ノリパ (2009-02-12 18:47) 

アテンザ23Z

おっしゃるとおりです。
膝が痛くても楽勝でした!
by アテンザ23Z (2009-02-12 20:30) 

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