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川崎城(栃木県矢板市) [古城めぐり(栃木)]

DSC08901.JPG←本丸西側の大空堀
 川崎城は、宇都宮氏の庶流塩谷氏の本城である。塩谷氏は宗家の宇都宮氏を支えた有力な一族で、もともと源姓塩谷氏がいたが、嗣子がなかったため宇都宮業綱の二男を養子として迎えた。これが塩谷朝業で、実質上の塩谷氏の祖である。朝業は和歌に秀で、同じく和歌に秀でた鎌倉3代将軍の実朝の寵遇を受けた。当初は平城の御前原城を居城としていたが、後により要害性の高い平山城の川崎城を築いて、ここを本拠とした。その後塩谷氏は、宇都宮家中の跡目争いで一度は滅びるが、再び宇都宮氏17代の成綱の弟孝綱によって再興された。このころは戦国乱世で那須氏と宇都宮氏が争っており、塩谷氏は宇都宮氏の重鎮として前線で戦った。孝綱の二男の孝信は倉ヶ崎城代(喜連川)となったが、兄で当主の由綱と争い、それ以降、本流の川崎塩谷氏は宇都宮方、庶流の喜連川塩谷氏は那須方に付いて干戈を交えた。由綱の子、義綱は豊臣秀吉の小田原征伐に際して、重臣岡本讃岐守を派遣したが、その岡本が義綱の反逆を秀吉に訴えたため、塩谷氏は改易された。義綱は縁戚である常陸の佐竹氏を頼り、関ヶ原の合戦後、佐竹氏が秋田に移るとそれに従って移り、家老格となって幕末まで存続した。

 川崎城は、東北自動車道のすぐ真横にある城址で、カーナビの画面にも表示されることが多いので、気付いた人も多いだろう。宮川右岸の丘陵上に築かれている。城域は広大で、特徴ある三日月形の形状をした本丸を中心に、二ノ丸、三ノ丸、東出丸、南曲輪、その他多くの曲輪群で構成されている。主郭の西半分周囲は、巨大な空堀で防御されている。二ノ丸と三ノ丸の間も空堀で区画されている。この空堀は東の麓まで伸びて、城全体を大きく南北に分断している。三ノ丸の東側には、これまた半月状の小曲輪が2~3段構築されている。その北は水の手曲輪になっていて、現在でも湧き水が流れ出している。更にその北側は新城部分となるが、高速道路建設でかなり破壊されたようである。また薮もひどそうだったので、今回はそこまでは行かなかった。城は大部分は公園化されているが、公園とは名ばかりで夏場はかなり雑草が伸び放題になっていて、大空堀も薮化していて歩くのが大変である(蛇も出る)。冬場に行く方がよいだろう。

 一方、この城のある丘陵地の南の続きには、大堀切を越えて堀江山城がある。近接した位置にあるので、出城として機能したのだろう。
 有力な宇都宮支族の名に恥じない、重厚な城である。
南曲輪西面の段曲輪→DSC08885.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.787532/139.919579/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
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ノリパ

大きな空堀ですね。やっぱり冬ですね、登城は。
by ノリパ (2009-02-22 19:52) 

アテンザ23Z

公園という名に恥じないぐらい草刈りされてれば、
何の不自由もないんですが・・・。
今はどこの自治体も予算が厳しいですから・・・。
by アテンザ23Z (2009-02-23 23:35) 

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