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水守城(茨城県つくば市) [古城めぐり(茨城)]

DSC09107.JPG←腰曲輪跡
 水守城は平将門の時代からあった古い城である。将門の叔父の一人、平良正が本拠としていた水守営所とはこの城の事だという。将門の父は、没落した皇族の一人高望王の三男で鎮守府将軍であった平良将であるが、その兄弟である国香、良兼、良正らが良将の死後、その領地を横領したため争いが始まったとも、また「女論」(将門記の記述)という、前常陸大掾源護の娘、もしくは良兼の娘を巡って争いが始まったとも言われている。こうして平氏一族の私闘として始まった承平天慶の乱は、思わぬ成り行きで将門と国府の戦闘に拡大したと伝えられている。将門の従兄弟で国香の嫡子平貞盛は藤原秀郷と共同して将門を破り、乱を鎮定した。乱の後、貞盛の弟繁盛の子維幹が水守営所に住し、常陸大掾となって勢威を振るったが多気城を築いて移り、水守城は廃城となったという。その後の城の歴史は定かではない。
 城は平野部に突き出た台地の先端に築かれており、主郭跡は現在田水山小学校の敷地になっている。南に続く台地部を広い堀で分断し、土橋と櫓台を設けている。また主郭北東部にも櫓台らしき高台が残っている。そのほか腰曲輪が数段残っているが、宅地や畑、保育園になっているので、どこまでが往時の遺構かは良くわからないところもある。堀や南の櫓台は冬場でも薮がひどく、とても入っていける状態ではないのではっきりとした形状は良く掴めない。小田城現説に行った帰りに寄っただけなのだが、いま一つ消化不良でパッとしない城だった。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.170776/140.066950/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
タグ:中世平山城
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