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唐沢山城 その2(栃木県佐野市) [古城めぐり(栃木)]

DSC09379.JPG←巧妙な虎口遺構(本城南東)
 新年の再訪城郭第3弾は唐沢山城である。正確には再々訪になる。masakiさんの主催する「栃木県の中世城郭」というサイトに山麓等の遺構に関する詳細な学術的研究報告が載っており、まだ見ていない遺構があることがわかったため再訪したのである。(残念ながら先ほどそのHPを見たら、唐沢山城の研究報告がまるごと削除されてしまっていた。残念!)

 まず山麓遺構。唐沢山城の西の山麓に、台所屋敷と呼ばれる大きな削平地や、唐沢門・下小屋門という門跡があるという。
 台所屋敷は大きな平場が広がっていて、現在は畑になっているが、確かに居館等を建てるには絶好のロケーションである。一部で発掘調査が進められているようだった。
 唐沢門跡は一部改変の様子が伺われるが、土塁などが残存し、どうも枡形を形成していた節がある。そこから山上に向けて大手道が通っていたようであるが、大手道の両側には緩い傾斜の広い削平地が広がっており、家臣団の屋敷があったのではないかと想像される。

 山麓遺構で一番見事なのは下小屋門で、土塁や水堀、虎口、門に付随する番所か何かが置かれた削平地が明確に残っている。行った時はどうも遺構調査が公的に行われた前後のようで、薮がきれいに伐採され、遺構の見事な状態をよく見て回ることができた。下小屋門には、水堀の上に木橋が掛かっていた様である。番所か何かの削平地には若干の段差があり、奥の高い部分に建物が建っていたのであろう。この削平地へは門内の平場から登る傾斜道まで付いており、まるで当時の状況が目に浮かぶような遺構である。ただの番所にしては削平地が広すぎるので、もっとほかの機能を持った建物が建っていたのかもしれない。

 以上が山麓遺構であるが、次は山上の「南城」と呼ばれる曲輪の更に南東側に展開する遺構群である。ここには主郭をはじめとする城の中枢部の遺構群とは異なる様相を呈している。南城から斜面を下っていくと、堀切で分断した数段の腰曲輪があり、その先に丘のような地形が見えてくる。この丘の辺りはハイキングコースが整備されているので、開けていて歩きやすい。その丘を越えると、大きく横矢の掛かった豪快な横堀が、更にその先に巧妙な虎口遺構が存在する。この虎口は、横堀と竪堀を組み合わせて90度屈曲した土橋を設けたもので、先の横矢掛りの明確な横堀といい、唐沢山城中枢部の遺構群とは明らかに性格が異なっている。特にこの虎口は、その形状が武蔵天神山城(北条氏邦が藤田氏に入嗣した際の当初の居城)の東出郭の虎口遺構と形状が酷似している。masakiさんは北条氏忠入嗣後の小田原北条氏による構築ではないかと推測されているが、おそらく正しい見解であろう。同じ虎口パターンは、武蔵青山城などでも見られるのである。
 これらの見事な遺構群の先は薮化しているが、更に東に斜面を下っていくと薮の中に土塁が現れる。ここには単純な坂虎口がある。ただ右側にも虎口のような跡があり、どちらが虎口だったのかははっきりしない。

 以上がこれまで見逃していた遺構群であるが、本城東側に展開する虎口関連の遺構は特に素晴らしい。ほとんどの城郭サイトや文献でも触れられていない、知られざる遺構群であるが、これを見ないと唐沢山城の魅力が半減するほどのインパクトがある。masakiさんに大感謝!
下小屋門の土塁、水堀、虎口→DSC09141.JPG
DSC09357.JPG←豪快な横矢掛りの横堀
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ノリパ

これまたすごそうです。日本は広いですね。いろんなところに
うずもれた遺構が眠っているんですね。
by ノリパ (2009-02-22 19:58) 

アテンザ23Z

最近、北武蔵の城郭を連発して登っていますが、
唐沢山城の遺構との共通点などもあって、
なかなか面白いです。
藤田氏の築城技術が、
小田原北条氏に吸収されて広まっていたのではないかと
想像しています。
その点については、いずれUPしてみたいと思います。
by アテンザ23Z (2009-02-23 23:44) 

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