椿田城(栃木県佐野市) [古城めぐり(栃木)]
←堀跡
椿田城は1560年に福地寧久が唐沢山城の支城として築いた平城である。河越城や忍城、館林城などの小田原北条氏に対する押さえの役目を負っていた。福地氏は16代の仲久のとき佐野盛綱に客将として招かれ、以来信任が厚かったという。1614年に佐野氏が改易になると椿田城も廃城となったが、福地氏はそのまま名主として城跡内に屋敷を構えて居住し、現在に至っているという。
北条氏に対する押さえというが要害堅固な城というわけではなく、単郭方形居館であったらしい。土塁は明確には残っておらず、廃城後に削平されてしまったのかもしれない。周囲に堀跡が残っているのが唯一の遺構である。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.282613/139.557009/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0
椿田城は1560年に福地寧久が唐沢山城の支城として築いた平城である。河越城や忍城、館林城などの小田原北条氏に対する押さえの役目を負っていた。福地氏は16代の仲久のとき佐野盛綱に客将として招かれ、以来信任が厚かったという。1614年に佐野氏が改易になると椿田城も廃城となったが、福地氏はそのまま名主として城跡内に屋敷を構えて居住し、現在に至っているという。
北条氏に対する押さえというが要害堅固な城というわけではなく、単郭方形居館であったらしい。土塁は明確には残っておらず、廃城後に削平されてしまったのかもしれない。周囲に堀跡が残っているのが唯一の遺構である。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.282613/139.557009/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0
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