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畠山重忠館(埼玉県深谷市) [古城めぐり(埼玉)]

DSC09947.JPG←わずかに残る土塁と堀跡
 畠山重忠館は、鎌倉幕府の初期、源頼朝創業の臣として勇名を馳せた武将畠山重忠の居館跡である。剛勇で聞こえ、鎌倉武士の典型として知られており、謀反をたくらんでいるという噂が立っていると教えてくれた友人に、「謀反の噂を立てられるのは武士の面目」と答えたほど気骨のある武人であったが、専制を目指す北条氏の謀略により滅ぼされてしまった。畠山氏は元々坂東八平氏の一つ秩父氏の庶流であったが、重忠の横死後、重忠の寡婦と再婚した清和源氏足利氏の一門義純が畠山の名跡を継ぎ、源姓畠山氏となった。この畠山氏が、南北朝の動乱の中で宗家足利氏に従って武功を挙げ、後に3代将軍足利義満が室町幕府の典礼を定めた際に三管領家として名を連ねる名門となったのである。畠山氏からはほかにも、能登畠山氏(本拠七尾城)や二本松畠山氏(本拠二本松城)を輩出した。
 重忠は後の関東諸将からも尊敬されただけでなく、地元でも思慕されているようで、現在では館跡を「畠山重忠史跡公園」として整備している。また公園の北の荒川を渡る橋は「重忠橋」と名づけられている。公園内には、わずかにそれとわかる土塁跡・堀跡と重忠の産湯の井戸跡が残る。また重忠の墓と伝えられる五輪塔が大切に保存されている。
 城館遺構としての価値は低いが、名将畠山重忠の遺蹟ということで一見の価値がある。尚、重忠の居館としてはもう一つ菅谷館が知られるが、両者の位置付けはよくわからない。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/?ll=36.127476,139.266429&z=16&base=std&vs=c1j0l0u0
タグ:居館
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