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大蔵館(埼玉県嵐山町) [古城めぐり(埼玉)]

DSC00638.JPG←東側の土塁跡
 大蔵館は、平安末期に源氏の棟梁、六条判官源為義の次男義賢が居を構えたところである。義賢はこの地を拠点に武威を張ったが、1155年8月16日に義賢の兄、源義朝は、長子で若干15歳の悪源太義平に大蔵館を襲撃させ、義賢はこの地で討たれた。世にこれを大蔵合戦と言う。この結果、義朝の関東における勢力は強大になり、翌年の保元の乱へとつながっていく。一方、義賢が討たれたとき、その次子駒王丸は畠山重能に助けられ、斎藤別当実盛の手によって木曽へ逃れた。時にわずか2歳の赤子であった。これが後に旭将軍と呼ばれて武名を轟かす木曽義仲である。
 館跡には現在、大蔵神社が建てられており、その周囲に土塁の跡が残る。また神社から東に100m程の所には、明瞭な土塁と空堀の遺構が残っている。宅地化で遺構はかなり隠滅しているが、かつてはかなり大きな館跡だったようだ。近くには義賢の墓も残る。それもなんと民家の庭先に、である。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.027818/139.328763/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
タグ:居館
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