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杉山城問題について [城郭よもやま話]

 杉山城のところでちょっと述べたが、歴史家の間では「杉山城問題」なるものが存在する。これはその緻密で高度な縄張から小田原北条氏による築城とされていたものが、城内から発見されたカワラケ等の遺物からするとそれ以前の関東管領山内上杉氏による築城であると推定され、しかもその後使われた形跡が見当たらないと言うものである。このギャップが縄張研究者と考古学者の間で論争の種になっているのである。

 しかしこの問題、私の見解ではそれほど困難な問題ではない様に思う。それは、小田原北条氏が新興勢力であったことを考慮すれば簡単に説明できるのではないかと考えるからである。

 北条氏勃興期の関東では何と言っても大勢力は鎌倉公方(後の古河公方)、関東管領山内上杉氏、そしてその同族扇谷上杉氏の三者である。この三者は足利尊氏が室町幕府を開いて以来、関東に君臨した屈指の勢力で、およそ200年にわたって関東の動乱の歴史を主導してきたのである。対する北条は、室町幕府の将軍に直属する奉公衆の一つとはいえ、関東に何らの地盤も持たない伊勢宗瑞(北条早雲)が、いきなり関東に殴りこんで築き上げたまったくの新参者であった。現代でたとえてみれば、片や旧財閥系大企業、片やベンチャー企業である。どちらに優秀な技術者が多いかといえば、旧勢力の方であるのは自明であろう。いつ潰れるかわからない新勢力に自ら志願する技術者は極めて少なかったろう。旧勢力には最先端技術を持つ技術者集団が備わっていたのである。北条氏は、その旧勢力を蚕食しつつ、それらの技術者集団を取り込んでいったのであろう。

 つまり北条氏は、杉山城はじめとする城郭を築いた優れた築城術を持った技術集団を、版図を広げると共に自らの勢力に取り込み、更に進んだ築城技術を創造していったのだろう。それは天神山城など、旧勢力の城を北条氏が改修した跡が明確な城を見るとよくわかるのである。従って、杉山城を山内上杉氏の築城とすることに何の矛盾も存在しないと考えている。
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竹

初めまして。杉山城で検索してたどり着きました。トラバさせて頂きました。
私も大筋で同意見です。矛盾しないと思います。というかむしろ自然な流れのような…
by (2009-04-27 19:00) 

アテンザ23Z

>竹さん
ご賛同いただきありがとうございます。
竹さんのブログの評論もとても参考になりました。
縄張論者と称される方たちの意見は、
戦国大名北条氏の勢威を過大評価するあまり、
北条氏勃興当時の現実的情勢から
乖離してしまっているように感じられます。
by アテンザ23Z (2009-04-28 23:49) 

ky

最近では文献上戦国末期の使用が確実なのに、遺物は16世紀前半止まりの言わば「逆杉山城」事例ばかり増えちゃってるみたいですね。
そろそろこの問題も決着するのかもしれません。
by ky (2015-03-21 10:35) 

アテンザ23Z

>kyさん
当ブログをご訪問頂きありがとうございます。
戦国末期の文献で杉山城を指すものがあったのですか?寡聞にして知りませんでした。もう少し詳しいお話を伺えると助かります。
そうだとすると、遺物と改修履歴が文献と合わないのがどうゆう見解になるのか興味深いところですね。
by アテンザ23Z (2015-03-22 22:40) 

ky

お返事どうもです。
戦国末期の文献はありませんが、椙山之陣=杉山城ではない、という文献からの考察があるようです。
http://rek.jp/?cat=127
となると、杉山城が16頭という文献上の確証がなくなります。北条氏領国内ですと津久井城など天正十八年までの仕様が確実な城郭も、遺物主体は15末~16頭、という城が増えているようです。
そのため考古学からは簗瀬裕一氏が「東国における戦国期城館と出土遺物の年代観についてー年代の「ずれ」と欠落の問題を中心に-」(佐藤博信編『中世房総と東国社会』岩田書院、2012)において、遺物の年代が遺跡の年代とズレる現象を、「城館の出土資料がそのまま素直に城館の年代や歴史を反映しているという前提を、白紙に戻す必要がある」と指摘し、杉山城も16世紀を主体に、ある程度の期間存続した可能性を示すなど、縄張論の年代観に近づくような考えを示しています。
どうも15末~16初頭、という結論は最近変化しつつあるようですね。
by ky (2015-03-23 02:06) 

アテンザ23Z

>kyさん
非常に興味深い情報をありがとうございます。教えていただきましたHPでは、「椙山之陣」の比定に関する考察や、出土遺物の年代が必ずしも城の存続時期と一致しないなど、示唆に富む内容が多く、興味深く拝見しました。こうした情報を見ていると、出土遺物の年代推定が果たして本当に正確なのかという根本的な疑問も出てきますね。
ちなみに、久しぶりに6年前に行った杉山城の写真を見返しましたが、その後の城巡りの経験からすると、北条というよりは武田の城という様に見えました。北条は直線的な大空堀をダイナミックに横矢を掛けた城が多いですが、武田は曲線的で細々したテクニックが多く、杉山城も駿河丸子城や上野根小屋城などとの共通点が多いように見受けられました。杉山城は、北条の城とすればやや異質な感じがします。
by アテンザ23Z (2015-03-23 22:31) 

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