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青山城(埼玉県小川町) [古城めぐり(埼玉)]

DSC02101.JPG←三ノ郭の堀切
 青山城は、松山城の支城網の一角をなしていた山城である。築城年代については定かではないが、一説では平将門による天慶の乱の後、藤原成文の後裔氏宗が当地に入部して青木氏を名のり、鎌倉幕府・関東管領に累代仕えてしばしば戦功を立てたという。また、『関東古戦録』では1563年に松山城に上田朝直、朝広を置き、青山城、 腰越城と共に堅固に守らせたとあり、戦国期には小田原北条氏の支配した北武蔵の要衝松山城の重要な支城として機能していたと考えられる。
 青山城は、規模はさほど大きくはないが、なかなか面白い遺構を持っている。主郭を中心にV字型に曲輪が配置されていて、曲輪間を堀切で分断する典型的な山城の縄張である。主郭はほぼ長方形の形で面積は広く、そこそこの居住性を持っていたと思われる。堀切はそれほど大きなものではないが形状が明瞭である。主郭南側の土塁上には平石が積み重ねられており、何らかの防御構造があったのであろう。主郭の北側下には竪堀・横堀と連携した屈曲土塁があり、花園御岳城天神山城などと同じ設計思想で作られている。
 小倉城と腰越城の中間に位置しているので、繋ぎの城として重要であったのだろう。
主郭北の横堀と土塁→DSC02134.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.037777/139.268333/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
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