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狐落城(長野県坂城町) [古城めぐり(長野)]

DSC04962.JPG←本郭南側の石垣
 狐落城は、北信の雄村上氏の本城である葛尾城の目と鼻の先にあり、重要な支城である。砥石城を陥として上田原に重要な橋頭堡を築いた武田信玄が1553年に村上攻めをした時、村上方の武将大須賀久兵衛を調略で寝返らせ、狐落城を守っていた小島兵庫助ら三兄弟を討ち取って落城させると、村上義清は退勢挽回の無理を悟り、葛尾城を自落して落ちて行った。そして義清が落ち延びて助けを求めた先が、越後の長尾景虎(後の上杉謙信)であった。このことが、前後5回にもわたる史上名高い川中島の合戦に繋がっていくのである。その意味で狐落城は歴史上、重要な画期となった城であった。

 狐落城は比高250m程の山城で、後背に三水城を控えている。狐落の名は、文字通り狐さえ転がり落ちるほどの急坂という意味で付けられたと言う。確かに楽な道ではないし、一部にはロープを伝わらなければ昇り降りも困難な急な斜面もある。しかし麓の十六夜観月堂から登山道がきれいに整備されているので、道の無い山城の攻略と較べれば、その労力と安心感たるや雲泥の差である。この登山道を登っていくと、途中に木戸口があったのではないかと思われるちょっとした平坦地や、小堀切、竪堀などが散見される。また城に近づくにつれて段曲輪らしいものも見られるようになる。そして石積みの虎口を越えて登り着いたところが、狐落城のニノ郭である。ニノ郭より一段上が本郭であるが、本郭もニノ郭も面積は小さく、兵の駐屯を目的としたものではないことがわかる。本郭とニノ郭の周囲には石垣が一部残っている。崩落している部分もあるが、かつてはほぼ全周を石垣で防御していたのではないだろうか。本郭の背後の三水城に繋がる尾根筋には二重堀切が掘られて道を分断している。そのあと痩せ尾根が10m程伸び、その後に最後の堀切があり、狐落城の城域はここで終わる。

 このあと三水城に登ってわかったが、狐落城は三水城の出城に過ぎず、三水城の前衛を固める城だったのだろう。

本郭から見た二重堀切→DSC04970.JPG
DSC04990.JPG←狐落城最後の堀切
狐落城遠景、縄張りが見える→DSC05180.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.436440/138.172500/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
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ノリパ

キツネさえ転げ落ちるなんて・・・
リハビリ第一弾としては、激しい山城ですね。
お疲れ様です。
by ノリパ (2009-06-16 07:02) 

アテンザ23Z

>ノリパさん
歴史的に意義のある城なので、是非行きたいと思っていました。まぁ、狐が転げ落ちるというのは大袈裟ですが。(笑)
by アテンザ23Z (2009-06-17 21:34) 

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