天白城(長野県上田市) [古城めぐり(長野)]
←主郭の石垣
天白城(天白山城)は、真田氏の築いた真田城塞群の一つである。真田氏館の後背を押さえる山上に築かれており、いざという時の詰めの城の機能を持っていたと考えられる。また真田本城にも近く、真田本城を左翼から防御する機能も持っていたのだろう。城の歴史は定かではないが、真田幸隆かその長子信綱が真田の庄防衛のために築いたのだろう。
天白城は、これまで見た真田城塞群の中では最も小さく、縄張りは根小屋城に似ている。主郭前面に6~7段の帯曲輪を設けて防御し、所々に石垣を設けて補強している。主郭は背後を土塁で固め、その向こうは岩盤を削り抜いた荒々しい堀切で防御している。堀切は、その他の真田城塞群と較べれば高低差は小さいが、これは岩盤を削らなければならなかったせいであろう。堀切は北の斜面では二重竪堀となっている。堀切の向こうは痩せ尾根上に岩塊が転がっていて、曲輪の体を為していない。ここにはほとんど兵を置く事はできなかったであろう。
縄張りとしては今一つ面白みに欠け、しかも藪と茨がひどく主郭以外は歩けたものではない。ちょっと残念な城であった。
それにしても、真田城塞群はどれも登城道が整備され、登り口には標識が付き、主郭には真新しい解説板を設置と、至れり尽くせりである。このように史跡整備に熱心な自治体は、素晴らしいと思う。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.435923/138.325124/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
天白城(天白山城)は、真田氏の築いた真田城塞群の一つである。真田氏館の後背を押さえる山上に築かれており、いざという時の詰めの城の機能を持っていたと考えられる。また真田本城にも近く、真田本城を左翼から防御する機能も持っていたのだろう。城の歴史は定かではないが、真田幸隆かその長子信綱が真田の庄防衛のために築いたのだろう。
天白城は、これまで見た真田城塞群の中では最も小さく、縄張りは根小屋城に似ている。主郭前面に6~7段の帯曲輪を設けて防御し、所々に石垣を設けて補強している。主郭は背後を土塁で固め、その向こうは岩盤を削り抜いた荒々しい堀切で防御している。堀切は、その他の真田城塞群と較べれば高低差は小さいが、これは岩盤を削らなければならなかったせいであろう。堀切は北の斜面では二重竪堀となっている。堀切の向こうは痩せ尾根上に岩塊が転がっていて、曲輪の体を為していない。ここにはほとんど兵を置く事はできなかったであろう。
縄張りとしては今一つ面白みに欠け、しかも藪と茨がひどく主郭以外は歩けたものではない。ちょっと残念な城であった。
それにしても、真田城塞群はどれも登城道が整備され、登り口には標識が付き、主郭には真新しい解説板を設置と、至れり尽くせりである。このように史跡整備に熱心な自治体は、素晴らしいと思う。
主郭背後の堀切→
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.435923/138.325124/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
すばらしい自治体ですね。郷土の歴史を愛している人
がいるんでしょうね。
by ノリパ (2009-06-16 07:11)
>ノリパさん
なんせ「あの」真田の本拠地ですから。
街中いたるところに六文銭が誇らしげに描かれています。
by アテンザ23Z (2009-06-17 21:43)