煙ノ城(長野県上田市) [古城めぐり(長野)]
←本郭背後の四重堀切の一部
煙ノ城は、北信濃の戦国大名村上氏が築いた太郎山城塞群の一つで、高津屋城から南に伸びる支尾根に築かれた城である。その名の通り、狼煙による情報伝達を目的とした城であったのだろう。
煙ノ城の更に南南東の下方には燕城があり、煙ノ城のもう一つ西側の支尾根上には物見城がある。この辺の城郭密度は非常に高く、上田原から坂城に入る手前の絶対防衛線として、重視されていたことがわかる。また相互の城が連携して、物見・情報伝達・兵の後詰などの役目を負っていたのであろう。
煙ノ城は小さい城であるが、本郭背後に岩盤を削り抜いた規模の大きな四重堀切で尾根上を分断し、石垣で土塁側面を補強するなど、普請がかなりしっかりされている。本郭の手前にも数段の段曲輪が展開し、その手前を堀切で防御している。本郭も含めて各曲輪は小さく、多数の兵を籠めることはできない。城の敷地内には現在高圧鉄塔(No.25)が立っているため、一部改変を受けているもののほとんどは手付かずで遺構の残存状況は良好である。また鉄塔保守用の通路が確保されていて、高津屋城下のNo.26鉄塔そばからすんなりアクセスすることができるので、虚空蔵山に登った時にはぜひ立ち寄ってほしい城である。
お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.424373/138.212063/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
煙ノ城は、北信濃の戦国大名村上氏が築いた太郎山城塞群の一つで、高津屋城から南に伸びる支尾根に築かれた城である。その名の通り、狼煙による情報伝達を目的とした城であったのだろう。
煙ノ城の更に南南東の下方には燕城があり、煙ノ城のもう一つ西側の支尾根上には物見城がある。この辺の城郭密度は非常に高く、上田原から坂城に入る手前の絶対防衛線として、重視されていたことがわかる。また相互の城が連携して、物見・情報伝達・兵の後詰などの役目を負っていたのであろう。
煙ノ城は小さい城であるが、本郭背後に岩盤を削り抜いた規模の大きな四重堀切で尾根上を分断し、石垣で土塁側面を補強するなど、普請がかなりしっかりされている。本郭の手前にも数段の段曲輪が展開し、その手前を堀切で防御している。本郭も含めて各曲輪は小さく、多数の兵を籠めることはできない。城の敷地内には現在高圧鉄塔(No.25)が立っているため、一部改変を受けているもののほとんどは手付かずで遺構の残存状況は良好である。また鉄塔保守用の通路が確保されていて、高津屋城下のNo.26鉄塔そばからすんなりアクセスすることができるので、虚空蔵山に登った時にはぜひ立ち寄ってほしい城である。
本郭付近に見られる石垣→
←荒々しい豪快な堀切ここから切り出した石が石垣に使われたのだろう
お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.424373/138.212063/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
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