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小滝城(山形県南陽市) [古城めぐり(山形)]

DSC07881.JPG←腰曲輪と本郭
 小滝城は、南陽市の北方、吉野川左岸の小滝集落の奥に築かれた山城である。小滝地区は最上領と伊達領の国境に当り、荒砥城から長谷堂城に至る小滝街道を扼し、且つ2つの街道が合流する要衝で、小滝城は伊達氏の最上氏に対する最前線の防衛拠点として築かれた。1514年に伊達稙宗が最上義定を攻めた際には、楢下口・小滝口から北進して上山城長谷堂城を襲撃したと伝えられるので、小滝城はこの時には既に軍事拠点として整備されており、兵の出撃基地として使われたと考えられる。しかしそれ以外の歴史や築城時期などは、文献がなく不明である。

 小滝城は南陽市のHPで紹介されているのに現地には一切標識がなく、そのため登り口はおろか城のある場所もはっきりしない中での、まさに手探りでの訪城となった。地形的に候補となる峰が2ヶ所あったが、登りやすそうな1番目の山は行けども行けども城らしい遺構がなく、途中で断念。2番目の候補地は、そこから沢を挟んで南側の山だったので、道無き斜面を藪を突っ切って降りて、沢を越えて、再び道無き斜面を強行直登するという状況で、非常に疲れた。斜面を登りきると、腰曲輪の平場があり、紛れもない城跡であることが一目でわかった。結局城に到達するまで1時間も掛かってしまった。

 小滝城は大きく4つのセクションに分かれていて、東西にニノ郭・本郭・三ノ郭の順で連なる連郭式を基本形とし、三ノ郭の南に少し下った斜面に南出郭が造られた縄張となっている。各曲輪の周囲は数段の腰曲輪が取り巻いているが、ニノ郭では傾斜のやや緩い南斜面に重点的に腰曲輪が造られている。またニノ郭の最外周は深さ1m程の横堀で囲んでいる。また各曲輪間を結ぶ尾根筋には堀切が造られており、それぞれ三重堀切・二重堀切で厳重な防御性を確保している。これらの堀切はいずれも深さ1.5m程のものである。またニノ郭の南西隅には二重竪堀があって、ニノ郭腰曲輪と本郭との間を分断している。三ノ郭の一番奥(西)にも堀切があって、そこで城域は終わるようだ。本郭の一番奥には枡形虎口もあるが形が小さく、あまり発達していない。一方、南出郭の外周も横堀で防御しているほか、虎口らしい構造も見ることができる。この虎口からは東に向かう緩やかな尾根上に、わずかな小道が残っている。この小道を下ると、鞍部から麓の広い緩傾斜地に出られるが、その手前に明確な堀切状の構造があるので、こちらが大手道だった可能性がある。

 遺構はよく残っているが、ほとんど人が入ることもないらしく、城内はどこも藪だらけであり、夏場の訪城は無理であろう。同じ伊達氏系山城の岩部山城の様な新鋭城郭と比べると、虎口構造や全体の縄張りは比較的素朴で、伊達氏系城郭としてはやや古い形態ではないかと考えられる。政宗(貞山公)の時代にはあまり重視されていなかったのかもしれない。また上杉氏が最上氏を攻めた慶長出羽合戦の時にもこの城は登場せず、上杉軍の侵攻ルートからも外れているので、その頃にはもう忘れ去られた城であったのかもしれない。
ニノ郭最外周の横堀→DSC07842.JPG
DSC07854.JPG←ニノ郭~本郭間の三重堀切
ニノ郭の二重竪堀→DSC07856.JPG
DSC07886.JPG←本郭~三ノ郭間の二重堀切
南出曲輪群→DSC07904.JPG


 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.185833/140.180555/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
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ノリパ

何もないのによく発見できましたね。すごいっス。
慣れというか、経験値ですね。
by ノリパ (2009-07-23 19:13) 

アテンザ23Z

>ノリパさん
一応地形図らしいものが南陽市のHPに載っているんですが、
不正確で国土地理院の地形図と合致しなくて困りました。

集落が根古屋として機能していたはずなので、
集落を押さえる位置から見当をつけました。
でも自信は全然なかったですよ。
by アテンザ23Z (2009-07-23 20:24) 

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