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白鳥城(山形県村山市) [古城めぐり(山形)]

DSC08278.JPG←本丸背後の大堀切
 白鳥城は、白鳥館とも言い、この地の豪族白鳥氏の居城である。白鳥氏は、一説には前九年の役で滅ぼされた安倍氏の流れとも言われるが定かではなく、白鳥氏がはっきりと歴史上に現れるのは南北朝動乱期以降である。そして白鳥氏で最も名高いのが十郎長久で、長久は勢力を拡大して居城を白鳥城から谷地城に移し(1558年頃)、大々的に城下町の整備を行った。また巧みな政治感覚で最上・伊達両氏の仲裁を務め、遠く中央政界の織田信長とも誼を通じるなど、最上氏の強力なライバルにのし上がっていた。この存在を危険視した最上義光は、1584年重病と偽って長久を山形城に誘い出して謀殺したという。尚、谷地城移転後の白鳥城の歴史は不明。
 白鳥城は比高60m程で、山の中腹の支峰に築かれている。公園化されて登城道が綺麗に整備されているので、夏でも訪城に困難はないだろう。本丸は上下2段に分かれており、上段はほぼ楕円形に近い形で、下段は南北にやや長い形状をしている。周囲には何段かの腰曲輪が築かれて防御を固めているほか、本丸の背後の東半分に深さ10m程の大堀切が造られている。二ノ丸は本丸よりだいぶ下にあり、現在梅林として整備されつつある。三ノ丸は本丸南側の斜面下にあったようだが、現在は耕地化してかなり改変されている。また二ノ丸の北側の道沿いには沼があるが、どうも往時の外堀だったように思われる。全体に遺構がよく残っているほか、城の周辺には白鳥長久ゆかりの石碑や松が残り、地元の人から今でも偲ばれている様子が伺える。しかし城としては比高が低く、防御性は疑問符である。また規模もそれほど大きくはなく、最上氏と対峙する勢力にしては心許ない。谷地城に移った所以であろう。
本丸→DSC08253.JPG
DSC08301.JPG←外堀跡と思われる沼

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.497222/140.322499/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

PS.外堀らしい沼のそばを歩いていたら、真っ青な鳥が羽ばたいていった。ほんの一瞬だったが、生まれて初めてカワセミを見ることができた。
タグ:中世山城
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