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なぜ城巡りをするのか? ① [城郭よもやま話]

友人などとの話の中で、城が好きだというと、
「城の何がそんなに面白いの?」とよく訊かれる。
多分城好きの人には、そういう経験が多いだろう。

私は城が好きだが、元から城好きだったわけではない。
山城の存在すら10年前までは知らなかった。
城に行くようになったのには、大きなきっかけがあった。

確か2000年ぐらいのことだったと思うが、
クルマで京都方面まで一人で旅したことがある。
目的は、「南北朝史跡巡り」。
私は大の南北朝フリークなのだ。

なんでこんなマイナーな時代が好きかといえば、
歴史の動きが戦国期とは比べ物にならないぐらい
ダイナミックだからだ。
大軍勢が、鎌倉から京都、九州、東北と全国規模で大移動する時代!

例えば、足利尊氏の足跡を追うだけでも途方もないことになる。
鎌倉から東海道を西上して京都に入り、京都から丹波、そこで旗揚げ。
また京都、それから東下して鎌倉、また京都、
兵庫から一気に九州へ落ち延び、福岡から再起して兵庫経由で京都。
・・・なんていう感じである。(しかもこれがたった3年間の話)

新田義貞だって、群馬の人なのに死んだのは福井だったり。
弟の脇屋義助なんか、死んだの四国だし。
それに較べれば戦国史なんてみんな局地戦ばっかりだもんね。

で、「南北朝史跡巡り」で周ったのは、
近江の蓮花寺とか、篠村八幡とか、岩清水八幡。
名和長年戦死地とか、四条畷古戦場。

そんな中で、城巡りのきっかけになったのが千早城だった。
吉川英治の私本太平記でも詳しく書かれる楠木正成の千早城攻防戦であるが、
実際に行ってみれば、なるほどとうなずける。
峻険な山上に築かれているうえ、麓の平地は山間部なので狭く、
大軍の展開はほとんどできない地形。
確かに鎌倉幕府が数万の軍勢を送っても、
ただ遊兵となるだけだったろう。

また正成の意図もよくわかる。
赤坂城は、かなり里に近い城だったが、
これは急遽挙兵した為、準備不足だったからだろう。
だからすぐに攻め落とされてしまった。
しかし千早城は違う。
最初から幕府の大軍を相手に長期の籠城戦を行うつもりで築いた城。
だから赤坂城よりはるかに奥地の狭隘な地形に作られた。

その場所に立てば、当時そこにいた人が何を考えていたのか、
わかる気がする。
それがこの時の旅でわかったのである。

    ・・・ちょっと長くなってしまったので、続きは後日
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ノリパ

いろんなきっかけがあるんですね。南北朝か。
知らない世界です。なんか興味がわいてきました。
by ノリパ (2009-07-26 18:28) 

アテンザ23Z

>ノリパさん
ちょーマイナーですが、
おっもしろいですよー。
九州だと、少弐、大友、島津の3氏はもちろん、
菊池氏なんかも活躍しました。
by アテンザ23Z (2009-07-26 21:48) 

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