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金山城(山形県金山町) [古城めぐり(山形)]

DSC08908.JPG←二ノ丸から見た本丸櫓台
 金山城は、金山川左岸の東西に伸びる山地の西端に築かれた山城である。金山は元々、仙北小野寺氏の後援を受けていた鮭延城主佐々木氏(鮭延氏)の直轄地であったが、一族を討伐して国内を固めた最上義光が1581年に鮭延氏を攻め下した。その後、義光は家臣の丹与惣左衛門を金山に入れて金山城を築城させ、小野寺氏に対する防衛拠点として整備させた。1600年、慶長出羽合戦で丹氏は金山城を守って勇名を馳せたが、合戦の後に無常を感じて羽黒山に入った。丹氏退出後は鮭延氏の属領となり、薗部彦右衛門・川田三右衛門が相次いで城主を務めた。1622年に最上氏が改易されると廃城となった。

 金山城は、比高75m程の山上に築かれている。基本的に本丸と二ノ丸だけで構成されており、あとは山腹などに何段もの腰曲輪が展開している程度で、城としては比較的小さい。頂上の本丸は内部が2段に別れており、その背後は土塁で防御している。この土塁は車道構築で一部破壊されているが、もともとあった搦め手虎口なのか、全く新しく崩されたものかよくわからない。城の北東側は、こんな感じで車道構築で改変されている模様で、当時の遺構がどうだったのか、よくわからなかった。しかし本丸土塁の北側にはどうも堀切があったようだ。本丸の南隅は二ノ丸に突き出しており、ここから二ノ丸全域を監視することができる。櫓台として機能していたのだろう。二ノ丸はかなり広大で、十分な居住性があったと思われる。二ノ丸の東の方には、竪堀状の虎口があって、下の腰曲輪との連絡路となっていたようだ。それ以外では登城道の所々に木戸口らしい虎口が残っている。しかし登城道は比較的単調に伸びていて、横矢を掛けようとする意図が少ないようだ。
 5月上旬に行った時には、山中のシダが一斉に葉を伸ばし始めていて、全山藪に埋もれつつある状態だったので、夏場の訪城は辛いかもしれない。なお、麓には金山大堰という水路が残っていて鯉がたくさん泳いでおり、のどかな時間が流れている。
山腹の腰曲輪→DSC08858.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.884820/140.342994/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
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