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本庄城(埼玉県本庄市) [古城めぐり(埼玉)]

DSC10188.JPG←民家の敷地に残る土塁
 本庄城は、1556年に武蔵七党の一、児玉党の本庄宮内小輔実忠により築城されたと言われる平城である。本庄氏は山内上杉氏に属したが、1567年に小田原北条氏に攻められて落城し、以後、鉢形北条氏の配下となったが、実忠の子隼人正の時、豊臣秀吉による小田原の役が起こり、本庄城も落城した。その後、徳川家康の関東入封に伴い、信濃国松尾城主小笠原信嶺が新城主となったが、1612年その嗣子信之の代に古河城に移封され、本庄城は廃城となった。
 本庄城は、関東の平城の宿命として、ほぼ全域が改変され遺構は湮滅している。多くは本庄市役所の敷地となったほか、住宅地や神社が置かれている。そんな中でも、一部に土塁が残るほか、城山稲荷神社には本庄実忠が植えたと言うケヤキの大木や、城の東端に当たる八坂神社周囲の切岸(高低差)など、城らしい痕跡を止めている。しかし城の周囲は現在でも宅地化が進んでいるので、これ以上の地形の改変がないことを祈りたい。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.243382/139.191606/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0
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