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曽谷城(千葉県市川市) [古城めぐり(千葉)]

DSC00123.JPG←曽谷城西側の崖
 曽谷城は、市川市街北方の台地上に築かれた崖端城で曽谷氏の居城である。千葉氏の同族重胤が千葉胤鎮から曽谷村に封ぜられ、曽谷氏を名乗ったことに始まると言う。重胤の孫曽谷胤貞は南北朝動乱最初期の1336年、足利尊氏の九州落ちに従って下向し、尊氏畢生の逆転劇、筑前多々良浜の合戦で武功を挙げた。尊氏はその後、大軍を率いて西上し、湊川の合戦で新田義貞・楠木正成の軍を破り、京都を制圧した。おそらく京都がほぼ足利方に帰した時であろう、胤貞は下総への帰国の途次、三河高橋の合戦で戦死し、遠い曽谷城も落城したと言う。これは関東を公家方から防衛する為、足利方将帥の命で下向させようとしたものと考えられる。1456年には下総市川で古河公方足利成氏と千葉自胤との合戦があり、曽谷左衛門尉直繁兄弟らが討死し曽谷氏は滅亡した。
 城跡は現在、宅地開発で大半が破壊され、わずかに民家の庭に土塁跡が遠望できるのみである。民家の方にお願いして見せてもらえば、空堀も確認できるとのことであるが、それほどの価値のある遺構とも思われない。ただ、周囲の低地との高低差のある地形は良く残っていて、城を築くに絶好の場所であったことがわかる。何でも市川市は、近々城址公園として整備する予定らしい。整備が完了した頃、あらためて再訪しても良いかもしれない。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.742663/139.930866/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
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