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赤山陣屋(埼玉県川口市) [古城めぐり(埼玉)]

DSC01160.JPG←本丸西側の堀跡
 赤山陣屋は、赤山城とも呼ばれる。1590年、豊臣秀吉によって小田原北条氏が滅び、関東に徳川家康が入部すると、伊奈氏もこれに従って関東に入国した。当初伊奈氏は初代熊蔵忠次が小室など1万石を領して小室に陣屋を置いて(伊奈氏陣屋)、関東郡代として水利事業など地域開発に手腕を発揮すること3代にわたったが、1642年に3代忠治は赤山7千石を賜って、新たに赤山に陣屋を築いて移り住んだ。以後、1792年に失脚するまでの10代163年にわたって関東の幕府直轄領を管し、新田開発・用水路整備などに大きな功績を残したという。伊奈氏が失脚して所領を没収されると、赤山陣屋は廃された。
 現地の石碑や日本城郭大系では赤山城と記載されるが、元和の一国一城令以後であるので、城とは認められず陣屋の名称が正しい。しかし築かれた地勢は城そのもので、かつては周囲の低湿地帯に半島状に突き出た台地上に築かれていた。本丸・二ノ丸・出丸が配置され、本丸周囲は空掘が取り巻いていた。現在は、本丸と出丸の間を外環道と国道298号線が貫通しているので破壊を受けているが、本丸と二ノ丸は耕地化しているものの、本丸周囲の空掘跡が良く残っている。こんな都会でほぼ全周に近く堀が残っているのは奇跡的とも言える。標識もあちこちに設置されており、内容も丁寧ですばらしい。周囲は市街化されてかつての低湿地帯に浮かぶ姿は見るべくもないが、陣屋内だけはまるで違う時間が流れているようだ。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.851109/139.747574/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
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コメント 2

fuzzy

堀は綺麗に残っているようですね、埼玉は荒川・利根川水系により湿地が多く、今でも冠水が結構あります、治水・新田開発事業は重要でしたね。
城を湿地に築くと平坦でも要害なものになるので各地に結構あるようです、
忍城がこの辺では有名ですね。
by fuzzy (2009-11-24 13:04) 

アテンザ23Z

>fuzzyさん
関東でも特に武蔵野は低湿地帯が多く、その中に浮かぶ浮島のような台地が、そのまま城郭の適地になっていたようですね。かつての中世江戸城も周囲は低湿地帯で囲まれていたようです。
by アテンザ23Z (2009-11-24 20:40) 

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