多門氏館(埼玉県富士見市) [古城めぐり(埼玉)]
←本郭周囲の土塁
多門(おかど)氏館は、鶴馬館とも呼ばれている。近世初期(江戸時代)の領主であった徳川家の旗本多門氏の館跡と言われている。しかし近年の研究では、元々は小田原北条氏の家臣で松山城主上田氏の一族の居館であったと考えられているようである。
館跡は、街中の山林の中に意外なほど良好に遺構が残っている。ほぼ方形に空堀と土塁が巡っており、土塁は一部は二重土塁になっているようだ。堀は全体的にだいぶ埋まってしまっているらしく、かなり浅くなっており深さ1~2m程度であろう。本郭内は山林が切り開かれて綺麗に整備されているので、夏場でも遺構の確認が容易である。これほどの遺構なのに、解説板はおろか標柱さえ建っていないのが惜しまれる。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.853387/139.551880/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
多門(おかど)氏館は、鶴馬館とも呼ばれている。近世初期(江戸時代)の領主であった徳川家の旗本多門氏の館跡と言われている。しかし近年の研究では、元々は小田原北条氏の家臣で松山城主上田氏の一族の居館であったと考えられているようである。
館跡は、街中の山林の中に意外なほど良好に遺構が残っている。ほぼ方形に空堀と土塁が巡っており、土塁は一部は二重土塁になっているようだ。堀は全体的にだいぶ埋まってしまっているらしく、かなり浅くなっており深さ1~2m程度であろう。本郭内は山林が切り開かれて綺麗に整備されているので、夏場でも遺構の確認が容易である。これほどの遺構なのに、解説板はおろか標柱さえ建っていないのが惜しまれる。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.853387/139.551880/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
タグ:居館
コメント 0