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義貞駒繋ぎの松(埼玉県狭山市) [その他の史跡巡り]

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 狭山市の中心近くの丘の上に、八幡神社が建っている。その本殿の東側に、松の古木が残っている。これは1333年、関東の野から倒幕に立ち上がった新田義貞が、進軍の途中馬を繋いだと言い伝えられている松の木である。
 挙兵した新田義貞は上野府中を攻め落とすと、疾風のように武蔵野を駆け、笛吹峠を越え鎌倉街道をまっしぐらに進み、所沢の小手指ケ原で北条軍と初めて本格的な合戦を行った。その時、新田軍は入間川の徳林寺を仮の宿と定め、源氏所縁の八幡宮で戦勝を祈願したという。その際、愛馬を繋いだのがこの松の木だったと伝えられている。その後、新田軍は久米川、分倍河原と北条軍を撃破しつつ進軍し、鎌倉を攻め落とすのである。
 新田の庄にも義貞挙兵にまつわる同様な古木がいくつかあるが、それらは位置的に信憑性が低いと個人的に考えている。しかしこの狭山の松の古木は、位置的に新田軍の進軍経路の途中に当たり、その点では信憑性がより高いように思える。兵馬のいななきの中を、義貞はこの社前で鎌倉攻略を祈ったのだろうか・・・。

 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.856935/139.408801/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
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fuzzy

狭山八幡神社、まさに今地元の神社です。初詣も八幡様の詣でています。
ひっそりと在る駒繋ぎの松、鎌倉街道を義貞公が雄姿を誇らしげに駒を進めたのでしょう。
by fuzzy (2009-12-04 16:12) 

アテンザ23Z

>fuzzyさん
そうでしたか!地元の由緒ある神社にお参りできるとは、羨ましい限りです。
by アテンザ23Z (2009-12-04 20:05) 

ノリパ

言い伝えが伝承になり伝説に昇華するのも、地元の方が一生懸命
守っていくからですよね。
by ノリパ (2009-12-06 17:33) 

アテンザ23Z

>ノリパさん
「伝説に昇華する」。いい言葉ですね。
歴史や伝統を大切に守ることは、根無し草のようになってしまった日本にとって、今こそ最も大切なことかもしれません。
by アテンザ23Z (2009-12-06 23:40) 

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