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長岡楯(山形県山形市) [古城めぐり(山形)]

DSC02576.JPG←主郭跡?
 長岡楯は村木沢楯とも呼ばれ、最上四十八楯の一つである。神保隠岐守の居館であったと言われているが、また一説には、慶長出羽合戦の時には畑谷城主の江口五兵衛光清が楯主であったとも言われる。狐越街道からの上杉勢防備の要地であった。慶長出羽合戦の折、9月30日に直江山城守兼続率いる上杉勢が退却する際に最上勢は猛追撃を掛け柏倉中林山や富神山東麓地帯で激戦が展開された。その夜、上杉勢はこの長岡楯に宿陣した。撤退戦で重傷を負った上杉方の軍奉行溝口左馬介は、ここで相果てたと伝えられ、その時に左馬介の首を洗ったと言われる井戸が首洗い井戸であると言う。
 長岡楯は独立丘陵に築かれており、その地勢は現在でも明瞭である。しかし畑や公園化によって改変されているため遺構ははっきりせず、腰曲輪らしい地形はあるが、後世の改変の疑いが残る。主郭跡と思われる場所は現在公園となっているほか、いくつもの社や供養塔が置かれている。公園の登り口には首洗い井戸が残るが、蓋をされてしまっている。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.245705/140.263116/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
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