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埴生護国八幡宮(富山県小矢部市) [神社・仏閣めぐり]

IMG_4402.JPG←木曽義仲騎馬像
(2003年10月訪問)
 埴生護国八幡宮は、1183年5月に木曽義仲が倶利伽羅山で平維盛率いる平家の大軍と決戦するに当たり、戦勝祈願した神社である。以来、蓮沼城主遊佐氏、武田信玄、佐々成政等の戦国武将の信仰が篤く、江戸時代には加賀藩主前田候の祈願社となった。社名の「護国」とは、江戸の始めに地方に凶作が続いたことから、前田利長が埴生八幡宮に祈願し、尊号を奉ったことに由来すると言う。
 また社殿は、1600年の関ヶ原の戦いの折、前田利長が大聖寺に出陣する際に埴生八幡宮に祈願し、帰陣の後に報賽として本殿を改築したものである。その後1611年、高岡城に在城中に病気平癒祈願の為、釣殿を寄進。また1622年には、前田利常の室、天徳院の産後祈願の為、拝殿と幣殿を改築した。これらの社殿は、江戸時代初期の優れた建築として、国の重要文化財に指定されている。
 またこの八幡宮には、境内に木曽義仲の騎馬武者姿の雄雄しい銅像が建っている。大きな神社ではないが、義仲ゆかりであり倶利伽羅峠古戦場からも近いので、古戦場に行ったときにはついでに寄ると良いだろう。
重文の社殿→IMG_4399.JPG

 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.666870/136.851604/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
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fuzzy

木曽義仲には、女性(愛妾)に纏わる話が多いですね、葵御前・巴御前・山吹御前そして藤原伊子(正室)、このよな女性に慕われた義仲、今井・樋口などの四天王も付き従ったのですから魅力ある武将だったのでしょう、私も政治力に欠けていたが義仲に魅力を感じます。
by fuzzy (2010-02-03 11:40) 

ノリパ

やっぱり英雄色を好む、デスかね。それとも英雄だから寄ってきたんですかね。
どっちにしても、スゴイ御仁だったんでしょうね。
by ノリパ (2010-02-07 17:17) 

アテンザ23Z

>fuzzyさん
結構、義仲ファンは多いですよね。
かの松尾芭蕉も義仲ファンだったし。
とかいう私も嫌いじゃありません。
by アテンザ23Z (2010-02-07 23:33) 

アテンザ23Z

>ノリパさん
義経もそうですが、貴種でしたし、魅力もあったんでしょう。
周りがほっとかないんでしょうね。
by アテンザ23Z (2010-02-07 23:34) 

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