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桧原城(福島県北塩原村) [古城めぐり(福島)]

DSC03789.JPG←本郭の多重枡形虎口
 桧原城は、小谷山城とも言い、1585年に会津侵攻の拠点として伊達政宗が築いた山城である。裏磐梯の桧原周辺は、会津の葦名氏と米沢の伊達氏の領国の接壌地帯であり、また金山もあったことから軍事的に極めて緊張した場所であり、葦名氏の戸山城柏木城綱取城など、臨戦態勢の多くの山城が築かれている。桧原は葦名方の穴沢氏が支配し金山経営をしていたが、1584年、政宗は奇襲により岩山城を陥とし穴沢氏を滅ぼした。桧原を手に入れた政宗は桧原城を築き、重臣の後藤孫兵衛を城将として置いて、1589年に摺上原の戦いで葦名氏を駆逐する迄これを守らせた。政宗は会津方面侵攻作戦の為、54日の間、桧原城に在城したことがあると言う。

 桧原城の名は、現地では小谷山城で統一されている。比高130m程の山城で、遺構は極めて良好に残っている。広い本郭を中心に、堀切を挟んで背後に物見台を兼ねたと思われる二ノ郭を置き、本郭手前には細長く何段かの段差を持った三ノ郭を構え、その前面は三重堀切で防御した連郭式の縄張である。(他の城郭サイトでは本郭を二ノ郭とし、二ノ郭を本郭としているものもあるが、ここでは虎口や横堀により厳重に防御された最大の曲輪を本郭として記載した。)これらの曲輪の外周には、一段下に横堀をぐるりと廻らして防御しているが、この横堀防御は、舘山城岩部山城小滝城などの伊達氏系山城共通の特徴である。またこの城最大の特徴は、本郭大手に作られた多重枡形の見事な虎口で、両側を2m程の土塁で挟まれた切通しの様な通路が幾重にも屈曲して構築されている。また本郭の西側には、搦手虎口の枡形が形作られている。ここには石が転がっているので、石垣が有った可能性がある。虎口が見事な一方で本郭内の削平は甘く、石田明夫氏の言う「伊達政宗は性格上、見栄を張る傾向があり…」という意味がよくわかった。背後の二ノ郭は周囲を土塁で囲んで防御し、主郭より1mほど高い位置にあり、物見台と詰の丸の機能を併せ持っていた様だ。三重堀切は遊歩道の敷設でやや破壊を受けている。尚、これら山上部分以外に、南山麓に外構え遺構が残っている。

 本郭以外は藪が多く遺構の確認が難しい部分もあるが、麓には案内板と入口の表示がされ、大手筋・搦手筋の2本の遊歩道も整備されているのはありがたい。但し、この地域は熊の出没確率が高いようなので、山歩きには厳重な注意を要する。私は幸い、熊の出没の形跡すら発見することなく済んだが。
本郭の搦手虎口→DSC03785.JPG
DSC03818.JPG←外周の横堀

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/37.732290/140.055064/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
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fuzzy

伊達政宗が見栄っ張り、確かにそうでしょう。熊が出没する、相当な山間に作られているのですね。
by fuzzy (2010-02-16 13:23) 

アテンザ23Z

>fuzzyさん
ここから一山越えればもう山形県ですから、
福島県内でも北の果てになります。
行った時は紅葉が綺麗でしたが、
いずれにしても山深い地域です。
by アテンザ23Z (2010-02-18 01:31) 

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