桧原城 外構え(福島県北塩原村) [古城めぐり(福島)]
←角馬出しの土塁と内堀
桧原城には、山上に築かれた城本体のほかに、南山麓の平地部に「外構え」と呼ばれる遺構が残る。これは平地の居館地域を防衛する城郭遺構である。
桧原城の南麓を走る車道の南方150m程の所に、農地に隣接して東西に一直線に伸びる土塁と、その桧原湖沿岸部に四角い大手角馬出しの方形土塁が残っている。角馬出しの土塁は、外側と北辺内側に堀を伴っている。馬出しはやや破壊を受けているようで、西側の土塁は確認できない。しかしその先に直線状の土塁があり、そのまま湖中まで伸びている。この水没している土塁は、Yahoo!地図の航空写真でも湖中にはっきりと確認することができる。桧原湖は、桧原城が築かれた当時はなく、明治時代(1888年)に磐梯山が大規模な水蒸気爆発を起こして山体を吹き飛ばし、その莫大な土砂が流れ込んでできた、堰止め湖なのである。観光地として有名な五色沼などもこの時できたものである。その為、江戸期の桧原宿集落が発展して、本来ならば近代市街化で湮滅するところであった外構え遺構が、湖ができたことで返って破壊を免れるという幸運で生き残ったものだ。
かつては各地の山城に作られていたであろう居館地域の外構えが、ほぼそのままの形で現代まで残る貴重な遺構である。
お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/37.726974/140.055798/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
桧原城には、山上に築かれた城本体のほかに、南山麓の平地部に「外構え」と呼ばれる遺構が残る。これは平地の居館地域を防衛する城郭遺構である。
桧原城の南麓を走る車道の南方150m程の所に、農地に隣接して東西に一直線に伸びる土塁と、その桧原湖沿岸部に四角い大手角馬出しの方形土塁が残っている。角馬出しの土塁は、外側と北辺内側に堀を伴っている。馬出しはやや破壊を受けているようで、西側の土塁は確認できない。しかしその先に直線状の土塁があり、そのまま湖中まで伸びている。この水没している土塁は、Yahoo!地図の航空写真でも湖中にはっきりと確認することができる。桧原湖は、桧原城が築かれた当時はなく、明治時代(1888年)に磐梯山が大規模な水蒸気爆発を起こして山体を吹き飛ばし、その莫大な土砂が流れ込んでできた、堰止め湖なのである。観光地として有名な五色沼などもこの時できたものである。その為、江戸期の桧原宿集落が発展して、本来ならば近代市街化で湮滅するところであった外構え遺構が、湖ができたことで返って破壊を免れるという幸運で生き残ったものだ。
かつては各地の山城に作られていたであろう居館地域の外構えが、ほぼそのままの形で現代まで残る貴重な遺構である。
お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/37.726974/140.055798/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
自然の力は妙なところにも作用するのですね。面白いです。
by fuzzy (2010-02-19 10:36)
>fuzzyさん
本当に何が幸いするかはわかりません。
当時は多くに人が亡くなったでしょうに、
かえって貴重な城郭遺構が生き残るとは・・・。
by アテンザ23Z (2010-02-20 16:29)