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戸山城(福島県北塩原村) [古城めぐり(福島)]

DSC03927.JPG←本郭下部の横堀
 戸山城は、1564年に葦名氏家臣の穴沢氏が築いた山城である。伊達輝宗による桧原侵攻を受けた穴沢俊恒は、伊達勢の再攻撃に備えてこの城を築いた。しかし築城の翌年7月に、戸山城の北側尾根筋から、堀切を越えて伊達勢約800人の奇襲攻撃を受け、辛くも撃退したものの戸山城の防備の弱さが判った為、俊恒はこれを破却して新たに岩山城を築いて移ったと言う。従って戸山城は、非常に短命に終わった城である。
 この城を登るのには大分苦労した。登り口の標識はあるが、道がいきなりないのである。山頂の方向はわかっているので、仕方なく道無き斜面を直登すること比高200m程でようやく城に辿り着いた。
 戸山城は、山頂の小ぶりな本郭を中心にその手前の南西側斜面に横堀と土塁が2段ずつ築かれて防御を固めている。南東尾根にはいくつかの段曲輪があり、その先は中央に土橋を残し両側を堀切で遮断した形の小堀切を設けている。東斜面は斜度がきつく防御施設はない。本郭の北の尾根筋には全部で3本の堀切があり、各堀切間は削平され、小規模な曲輪となっている。一番大きな堀切は本郭背後のもので、高低差は5m程もある。この堀切から西側に落ちる竪堀は、どうも搦手虎口を兼用していた様で、一直線に落ちているのではなく途中でクランクしている。本郭の南西下の2段目の横堀の西端付近には土橋が掛かっていて、その5m程下方には窪みが見られ、更にその下に段曲輪があり、どうも水の手であったようである。普請はしっかり成されているものの、全体に小ぶりな印象で、あくまで詰城の位置づけだったと考えられる。
 それにしてもこの山はここ数年人が入った形跡が無く、道は途絶し、山上は藪がひどく、曲輪内部もまともに歩けたものではない。しかも石田明夫氏のHPの記載では、熊の冬眠跡もあったというほど熊の出没確率の高い山城だそうなので、登る際には近くにある桧原城以上に厳重な注意を要する。私が見た限りでは、熊の出没した形跡は確認できなかったが。それにしても、そこまでヤバい城とは知らずに登ってしまった・・・。
本郭背後の堀切→DSC03947.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/37.725362/140.034914/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
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fuzzy

防衛線に築かれた山城、戦の際はどれ位、敵に脅威を与えたのか、いつも疑問です。守兵も多くは居なかったでしょうから退路を断たれるほどの戦力はないでしょうし、街道筋には直ぐには行けないだろうと感じてしまいます。
私なら備えだけ残し、兵を進めるでしょうね。
by fuzzy (2010-02-19 10:42) 

アテンザ23Z

>fuzzyさん
局地戦では、双方の戦力は各々千に満たない数だったでしょうから、
兵数が少なくても要害を構えて防御すれば、
それなりの防衛効果はあったのだろうと思います。
特に城攻めは難しく、
攻撃側は守備側の数倍の兵力を必要としたほどですから。
双方数千の兵数になれば、かなりの大規模戦闘で、
万を越える動員は、戦国史でも数えるほどしかなかったでしょう。
by アテンザ23Z (2010-02-20 16:38) 

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