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竜階城(栃木県鹿沼市) [古城めぐり(栃木)]

DSC05862.JPG←見事な二重堀切
 竜階城は、鹿沼の引田地区に築かれた比高170mの山城である。歴史や築城者は不明であるが、引田には壬生氏の家臣で壬生徳節斎周長に味方した高村越前守が本拠を置いていた。戦国末期、壬生城主で宗家の壬生義雄と、日光山と結んで鹿沼・日光支配を目論む鹿沼城主壬生周長との間で激しい抗争があり、その中で引田地域でも1571年に激しい戦闘があったので、その戦乱に関係して高村氏によって築かれた山城ではないかと推察される(HP「日光例幣使街道~街道宿ヒストリーウォーク」による)。竜階城の南西、大芦川の対岸の山上には金ヶ沢城があるが、竜階城との関係はわからない。高村氏と久我氏がお互い対峙する為に築いた城だったのだろうか。

 竜階城へは、HYDさんがHPに記載している通り、南斜面の山腹の小さな祠に登る道をそのまま登っていくと城まで登ることができる。どうも大手道はこちらだったようである。何故なら、一つは祠のある尾根のすぐ東側下方に広い平坦地が広がっていて、どうも居館跡のように思われること、もう一つはこの道を登って行って城域が近くなってくると散発的に3段ほどの馬蹄形段曲輪が現れ、登城道の防御を固めているらしいこと。この2点から推察されるのである。山上の城は思ったより広く、主郭を中心に南側に数段の広い腰曲輪で囲んでいる。東尾根には浅い堀切といくつかの段曲輪があり、南西尾根には見事な二重堀切と曲輪、更にその先に浅い堀切で尾根筋を分断している。この二重堀切は面白い構造で、一つ目の方は真ん中が土塁状にやや盛り上がっている。ここから南斜面に長大な竪堀が落ちている。最も見事なのは主郭の北側尾根で、深さ2~3m程の堀切と曲輪が交互に3つずつ続き、先端の曲輪の北側には小さな帯曲輪が付随している。主郭北西下部には一部横堀状になった武者走りがあり、主郭を経由せずに北尾根の曲輪と南西尾根の曲輪との間を連絡できるようにしている。上南摩上の城ほどの規模ではないが、そこそこの居住性を兼ね備えていた城であることがわかる。

 なかなか見応えのある城であり、やはり鹿沼の山城はどれもハズレの無い見事なものだと思う。尚、「竜階」とは「竜ヶ谷」と同じく要害の転訛であろう。
山麓の居館跡らしい平場→DSC05851.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.611449/139.669914/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
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