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小野路城(東京都町田市) [古城めぐり(東京)]

DSC07151.JPG←主郭と土塁
 小野路城は、秩父氏の庶流小山田氏が築いた城である。1171年に小山田有重が小山田城を築き、その支城として子の二郎重義に小野路城を築かせたと言う。その後、1205年に有重の長男稲毛重成が、同族の畠山重忠を讒訴した為に誅殺され、小山田氏は没落した。室町時代の1476年に長尾景春の乱が起こると、小野路城は小山田城と共に長尾方に対する扇谷上杉氏の拠点となった。この乱の最中、1477年3月に長尾勢によって小山田城は攻め落とされたが、おそらく小野路城も同様に落城したと考えられるらしい。その後の歴史は定かではないが、1559年成立の「北条氏所領役帳」によると、この地は大石一族の者が領していたようである。

 小野路城は、小山田城東方2km弱の丘陵上に位置する平山城である。地元では城山と呼ばれる山に築かれているが、傾斜がなだらかで山と言うよりは丘陵に近い。主郭には小さな神社が祀られており、その背後には土塁が残っている。主郭の周囲には横堀が取り巻いているが、埋もれているのかかなり浅くなっており規模は小さい。二ノ郭は主郭の西に位置しているが、間はなだらかな傾斜で繋がれていて、堀切による分断は意図されていない。二ノ郭の南尾根筋には小さな枡形虎口が見られる。一方、二ノ郭の北尾根には堀切といくつかの曲輪が連なっている。二ノ郭西側は傾斜が急であるが、それ以外の部分は主郭も二ノ郭も切岸がなだらかで、あまり防御性を感じさせない。主郭からかなり離れた東の尾根道に堀切状の地形が見られ、ここも城域だったかもしれない。いずれにしても小野路城は全体に防御構造が弱く、古い形態の城と思われる。尚、道がわかりづらいので行くのが大変だが、ハイキングコースが整備されているので、場所さえわかっていれば訪城はしやすい。
二ノ郭南尾根の枡形虎口→DSC07158.JPG
DSC07176.JPG←二ノ郭北の堀切

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.596496/139.428145/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0
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