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枡形山城(東京都青梅市) [古城めぐり(東京)]

DSC07948.JPG←大堀切、鳥居が建っている
 枡形山城は歴史不詳の山城である。辛垣城から南南東に600~700m程の位置にあり、辛垣城と何らかの関連があったと考えられる。その為、辛垣城に籠城する三田綱秀を攻める為、滝山城主北条氏照が築いた向い城とも、また三田綱秀が勝沼城と辛垣城の繋ぎの城として築いたとも言われている。

 枡形山城に行くには、辛垣城に行ったついでに尾根伝いに行く方が楽で場所もわかりやすい。辛垣城から尾根上のハイキングコースを東に行き、名郷峠の東のピーク(標高418m)から南に伸びる尾根を南下すると、城に到達することができる。

 枡形山城は最上部の主郭の南北に曲輪を連ねた連郭式の縄張であるが、主郭は他の曲輪との高低差が比較的大きく、独立性が高い。主郭は直径十数mの楕円形状の小さなもので、現在祠と石碑が建てられている。主郭の南には堀切を介して二ノ郭がある。二ノ郭は2~3段ほどの曲輪に分かれている様で、その南端には小振りだが明確な枡形虎口が設けられている。その先は大堀切があって、現在はそこに鳥居が建てられている。大堀切の南は丘陵上の地形となっているが、削平は甘いもののここも前衛の曲輪であったと考えられる。なぜならその南端にも小さな枡形虎口が残っているからである。2つもある枡形虎口が、枡形山の名前の由来であろうか。一方、主郭の北側は傾斜のきつい尾根筋に土橋を伴った小堀切が二つあり、その間は小曲輪となっている。また堀切はそのまま長い竪堀となって斜面を下っている。更にこの北尾根を辿ると、一旦鞍部に出てから登っていく途中に2~3段の段曲輪群が2箇所、明確に残っている。この尾根は前述の通り辛垣城に通じているので、辛垣城への道を塞いでいるものと見ることができる。

 こうして見るとこの城は、背後(北側)は土橋で動線を確保し、且つ城からやや離れた尾根にも段曲輪を設けて辛垣城に通じるルートを厳重に防御している一方で、城の前面(南側)は規模の大きい堀切による分断防御を重視していることがわかる。ということは、北条氏照の付城などではなく、三田氏が築いた辛垣城の出城ではないかと考えた方が良さそうである。
二ノ郭の枡形虎口→DSC07939.JPG
DSC07909.JPG←土橋横から落ちる竪堀

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.806276/139.223052/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0
タグ:中世山城
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